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「若者」に関して

■はじめに
 「若者」という言葉は、プラスイメージにもマイナスイメージにもなり得る言葉かと思われます。皆さんにとっては何対何になりますか?

■「"最近の" 若者」というパワーワード
 「若者」の時期を過ぎた世代は次世代の若者世代に対して、「最近の若者は投票に行かない」とか、「最近の若者は心が弱い」とか、「最近の若者はゆとり教育で学力が低下した」とか、「若者の◯◯離れ」のように警鐘を鳴らします。一方で、ターゲットとなる若年層は、「最近の若者はどうこう言っている"老害"」と感じるでしょうか。
 これは全然、今に始まったことではなくて、あの清少納言も「最近の若者は言葉が乱れている」とぼやいたり、犬養毅首相は5.15事件で軍人に射殺される際に「9発撃って3発しか当たらないとは、最近の若い奴らはどんな教育を受けてるんだ?!」と叫んだそうなのです。さらには、古代エジプトの壁画にも、「最近の若者はけしからん。俺が若い頃は…」という文章が書かれていたことが判明しています。
 つまり、「最近の若者」の歴史は長く、もっと言えば、人類の歴史は「最近の若者」の歴史なのかもしれません。

■失われた○十年は若者のせい?
 バブル崩壊以降、経済低迷が続き、「失われた10年」と呼ばれました。しかし日本の地位は下がる一方で、少子高齢化も予想以上に加速し、いつしか「失われた20年」と呼ばれるようになりました。まもなく「失われた30年」に突入します。依然として無策といえましょう。
 ただ、考えなくてはいけないことがあります。それは、この不景気は何が原因なのかということです。日本の若者の多くは、そもそも何が「失われ」たのかすら知りません。だが、上の世代からはひたすら悪く言われるばかり(「ゆとり教育」なんかは上の世代が決めたにも関わらず)で、「ゆとり世代」は「さとり世代」へと進化(?)しています。もはや欲も失われています。この流れを作ったのは、私は竹中平蔵とその協力者だと考えていますが、このままで良いのでしょうか?私は、解決しないと考えています。
 そういう間に、「シルバー民主主義」化が進んでいきます。人口が少なく投票率の低い若年層と、人口が多く投票率の高い高齢層とでは、断然後者の方の希望が優先されます(たとえ野党支持へ乗り換えの流れが顕著になったとしても)。

■以前の記事も踏まえて「若者」を考える
 私はこれまでに4つの記事を書きました。

  ・4種類の国家秩序(https://note.com/takamiy007/n/nef742ceda0c6)
  ・「平等」の形(https://note.com/takamiy007/n/na385fba1b47f)
  ・「結婚と姓」に関して(https://note.com/takamiy007/n/n4e4fc6405d59)
  ・「責任」というパワーワード(https://note.com/takamiy007/n/n610a845c795d)

 昭和はとにかく、『4種類の国家秩序』で定義するところの B と、『「平等」の形』で定義するところの III で動いていました(『「結婚と姓」に関して』で言及したようなことも正直どうでも良かった)。B は良くも悪くも、人権という意味ではトータルで皆平等といえると考えています。つまり、「みんなそうしているから自分もそうする」(役割単位で)で良い時代でした。これは江戸時代にもいえます。Bでもし生活に革命が起きると、旧世代と新世代のような世代間格差が出て世の中を不安定にしかねないのです。ただその世の中を生きた人々が、平成・令和になってもそれを引きずっているように思えるのです。若者たちはその、AとBの狭間で葛藤しているのではないでしょうか(AB という選択肢も取り得るが)?嫌々 B に進んだら長続きはしないでしょう。ただ、安易に A 選んで競争で負けたらそれもまた人生どん底です。最近では、コロナ禍での自殺が後を絶ちません。
 また、『「責任」というパワーワード』で、若いうちから「責任ある仕事」を引き受けるのは良いことかどうかについて言及しましたが、「年功序列」に基づく給料で重い仕事をさせられる若者の割合は増えています。これはあるまじきことだと考えています。なぜなら、転職時(主に外資系企業)に、「安い給料で責任の重い仕事を引き受けてくれる人」と思われることが往々にしてある(前職の給料をベースにその人の給料を設定する所があるため)からです。安く引き受ければ引き受けるほど、都合の良い人材(言ってしまえば「奴隷 "以下"」)になります。海外企業にとっては、「日本人は "真面目な奴隷" が多い」というイメージが定着してしまいます。
 一方、不祥事を起こしたときの企業の役員や政治家の対応の仕方は、メディアからはずさんな様子がよく映し出されるかと思われます。あれは反面教師でしょう。日本社会は総じて「忖度」を強要するところがあると思います。それは、出世にも関わる大事なことという位置づけです。しかし、不祥事が発覚すると、「部下/秘書 が勝手にやった」という責任転嫁です。

■結局、最近(「今」基準)の若者には何が無い...?
 今の若者には、とにかく「力」といえるものが無いといえると考えています。どうしても、若いうちは金融資産が限られてしまいますが、諸外国の多くや、昔の日本の若者は総じて、自己保有の金融資産が少ないなりに、権力に迎合しない不屈の心がある(あった)ように感じられます。言葉の力と行動力です。
 しかしそれが今や、「現状追認主義」と化しています。現状に満足していないのに現状を自分の力で改善しようと(させようと)動かない。お上の至らなさは「仕方がない」と言って黙認してきた結果生まれたのが、"老害" と呼ばれる連中ではないでしょうか?そういう "老害" に、「最近の若者は~」と言われているのです。その「最近の若者」リレーのバトンを子や孫に受け継ぐような、減点法な生き方を社会から強いられて、皆さんは幸せですか?もし幸せでないなら、今できることから変えていきたいと思いませんか?

■今後の予定
 今回の記事を書いていて、「自称進学校」に関する言及の必要性を感じました。それについて記事を書こうと考えています。

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