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滝行と『やった気』

よくお師匠から言われる言葉に
『やった気になったらアカン‼️』というものがあります。
修行してて印を組んでエイヤッとやったり、真冬の滝行をしたり、それ自体そのものは多かれ少なかれ修行の場面で散見されます。
自分も山のコース上にお滝があると滝行をしています。

愛宕山空也の滝。水が跳ね返って細かな飛沫が落ちてくる

凄い作法でバシッとキメると凄い行者さんになった気になるかもしれません。
真冬の滝行を繰り返していると他の人にない忍耐力や集中力が備わった気になるかもしれません。

という【その気になる】ところが怖いのだ、とお師匠はいつも言います。
他の人と違う優越感が慢心を生み、進歩を妨げ停滞を生み出します。
そして慢心に支配されてしまうとお師匠曰く、そういう行者は決まって『俺はやってるから、ええねん!』と言い出すそうです。

ひとの心には「私は他の人とは一味違うひとかどのものだ、きっとそうに違いない」という根拠のない自信がよく潜んでいます。僕にもあります。
でも、それのままではアカン、等身大の自分を見失って何のための修行だろうか。
おかしいと思ったらちゃんと危機から抜け出せる───その抜け出せる、ということが解脱だ、とおっしゃいます。

今の自分の目標は力んだりせず自然体で拝めるようになる、を目指しています。
滝行にしても大自然を感じて集中する、ぐらいに思ってやっております。

交野山月輪の滝。右手にお不動さんがいらっしゃる

たまに衣を脱いでいると登山客の人が来てフンドシつけようとお尻丸出しだったりして「あーっスミマセンそういうフェチの人じゃないですッ!」とか慌てたりもしますが。

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