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 若手には、社内で今回回収した食品の分析および中国、ミャンマーからの食材のトレースをお願いした。そして、できれば中国とミャンマーの工場の調査を第一回目を行い、その後対策を一緒に練るために、3人で工場(最新鋭植物工場)を調査することにしていたい。


 社内にのこり、食品の調査をはじめている品質管理部の知り合いに電話している若手。

 品質管理の同僚に、今回の自主回収についての調査計画をヒアリングしていた。すべてを総括している東京本社の総務部からの指示に従い、1週間ほどで化学分析を終えるようにとのことだった。今着手したところで、そんなに多くのデータはでていないが、ヒ素の混入は間違いないことを同僚からすげられた。

 明日、そちらに伺うことを告げて電話をきり、次に、中国およびミャンマーとの契約関係を調べるために、法務部に電話し、契約書を送ってもらうてはずを整えたが、5時になったので、帰宅する。


 翌朝、早速、品質管理部の化学分析ラボを訪れ、同僚に声をかけると、凄くいやな顔をして、今日はダメだ。と言ってさっさとどこかにいってしまった。あっけにとられていると携帯にメッセージがそいつからとどき、何をやっているんだ。上から一切話すなと釘をさされた。夜7時、いつものスタバ(三宮)で待つ。とだけとどいた。


 その後、一日デスクでレポートを仕上げていると今度は法務部からメイルが入り、要求していた契約書は、部外秘扱いで、部長承認がとれず、送付することができないと言ってきた。これも、おそらく、情報封鎖なのだろう。ひょっとして、上司たち、課長と重役は会社での立場がヤバくなっているのではと思えてきた。




 淡路の封鎖扱いが解除されたことを聞き、大泉は被害者の家家を訪問していた。事件当日の行動をできるだけ正確に知りたい。すべてではないが、いくつかヒアリングから新たな事実が分かってきた。

被害者は、スーパーで弊社の回収された食品を購入していた。どの家も食べてないと言っていたが、この地域は通常よりも早く出回ることが知られていた。問屋が儲けようと、工場とつるんで、早く入荷出荷していた。その結果、この地域の売り上げは人口の割には高い数値を示している。


 回収されたとどの家庭も力説していたが、おそらく食べたのだろう。明らかに弊社の食品の影響で中毒を起こしていると考えてまちがいないが、確固たる証拠がまだない。


 とりあえずは中国、ミャンマーの工場調査を重点的に進めることにしたが、社にもどると情報封鎖を知った。いくつか電話をかけたが明らかに社長の差し金である事はまちがいない。私にすべてを押し付けるための対策なのだ。

 3年目の若手と話をするが、これ以上、手伝うとその子の将来にも関わるのでもういいと言い、一人で進めることにした。しかし、課長は手伝うと、そして、運命共同体と言って引く事はなかった。


 どのように取り組むか? それが課題だった。



 夜7時過ぎにようやく退社し、三宮駅前のダイエーの2階にあるスタバックスにいくと、すでに品質管理部の同僚、奥寺が一番奥の席に外から見えないようにひっそりと座っていた。カフェモカのグランデを注文し、同僚に対面して座り、おもむろに話を始めた。


「どうなっている。上からのプレッシャーが相当きついようだな。」と同僚の目を見ながら話かけるが、同僚は下を向いたまま、答えた。

「そうだな。だいぶヤバいみたいだぞ。なにやったんだ。」

「いや、おれはなにもやってない。押し付けられてる。社長と総務担当だ。悪いのは、あいつらだ。原因を解明しないまま、製造開発の俺の責任にして逃げるつもりだ。中国からの食糧がおかしいのは分かってるが、それがどうおかしいかが証明できれば、俺も大丈夫だ。」と、つぶやくように、そして同僚のちょっとした反応、仕草も見逃さないように、注意して、話をした。同僚は、総務担当の名前をだしたときに、少しビクッとしていた。明らかに何かを隠している。ちょっとプレッシャーをかけてみるか。

「な、お前も大変だな。今回は水質汚染が原因と、政府とグルで片付けたようだけど、しかし、品質に問題があったことは社長も分かってるしな。

これは管理責任問題になるかもしれないな」と言って、同僚の顔と身体全体を、全神経を使って注視していると、少し身じろぎして、手を口に無意識に運び、緊張から、汗を拭うような仕草をした。


「いや。社長からは、水質汚染なので品質管理は問題ないと聞かされているよ。それより、製品回収の責任はどうなんだ。」と、今度は、同僚がこちらを見ながら、いやな目つきで問い返してきた。

「開発には問題ない。製造プロセスは、結局、ラボでトレースしても問題なかった。もし製造プロセスに問題があるとすると、それは、工場のプロセスを誰かが変えたことになる。俺はそんな指示はしていない。」と、ゆっくり返した。


 カフェを飲み干して席をたつかどうかなやんだが、もう少し、情報を引き出して、勝つための戦略のデータにしようと決意し、さらに話はじめた。同僚は居心地悪そうに、もじもじしている。いつもは、どっしりとして、何があってもふらつかない奴で、そのおかげか、一番出世が早く、部長職に一番のりしていた。昔、一緒に食糧倉庫に忍び込んだことをチラツカセて、様子をみてみようと大泉はおもむろに切り出した。、


「な、懐かしいな。前にも食品中毒の問題があったよな。あの時は焦ったな、ほら、8年前、俺もお前もまだ、ひらの時に、東北地域で、味がおかしいと指摘を受けた食品があったじゃん。あれ、俺らも関係して開発したよな。真相が分からないので二人で倉庫と品質保証それぞれに忍び込んでサンプルを取り出し、検討したら、ほら、あれ、単純な作業ミスで、異物混入だった。それ突き止めて、二人で、やんわりと当時の開発部長の斎藤に圧力かけたら、飛んでったな。あの部長、噂では、今の社長が当時専務でその下だったよな。」と話た後に、少しだまり、コーヒーをすすりながら、奥寺の様子を伺った。と、突然、奥寺は、立ち上がり

「いい加減にしろよ。そんなこともう忘れた。関係ないだろ、今回にことに、おれ行くは」とすれ台詞をのこして、急ぎ足でスタバを後にする奥寺の首筋には汗の滝ができていた。相当焦ってる。ひょっとして8年前の件も関係あるのか。と不思議に思いつつも、感づいた 大泉だった。


 しばらく、うつらうつらと今の会話のことを思い出しながら、今後の対応を思案し、コーヒーを飲み干した大泉は、毅然とした態度、覚悟したかのようにゆっくりと立ち上がり、カップを捨て、スタバを立ち去った。



 


 同僚奥寺との密談でどうしても8年前の品質問題が気になり、当時の部長に話を聞きに行くことにした。今は、人事に問い合わせなくても、E-Mail アドレスをクリックすると所属と居場所がわかるようになっている。オフィースでクリックすると、斎藤(当時の開発部長でクレーム問題を押し付けられた)は、今はシンガポールのアジア支社にいて、調達担当の副社長に収まっていた。確かアジア支社は一昨年社長の一声で設立され中国含むアジア全域でのマーケティング、仕入れ、流通などの広い権限が与えられているはず。そこの副社長となるとかなり高い地位で有ることは間違いなかった。





 大泉は自分のデスクの上に広げたレポートパッドを最近使い始めたParker. 5th Pen 、色はピンクゴールドでスリムタイプがお気に入りで、そのPenで、パッドをコツコツと叩きながら考えていると、背筋に冷汗が流れるのが自分でも分かった。心の中で

『これはやばいかもな。ひょっとしたら、8年前も、今回と同じで、中国あたりも絡んでるのか。そう言えば、斎藤が異動させられた後、奥寺は少しの間、海外、確かヨーロッパの子会社に行ってたな。帰ってきて、俺より1年早く課長になり、部長には2年早くなった。異例の大抜擢、確かヨーロッパから導入した最新式植物工場の成果だったな。ん、あれって今取引している中国工場にも、こっちから紹介と技術指導し、相手に金をださせてたんちゃうかったかな。』


大泉の頭はフル回転始めてしているものの直感が警告音を発していた。これはにお。しかし、まだ確信に迫っていないし、確たる証拠を握ったわけでもない。あいつら8年前からきっとグルだったんだ。奥寺は、そのときに何か交換条件を出されて飲んだんだ。そう言えば、あの竹村(今の社長で当時専務)は、あの時、何回か俺にも会食につれだし、いろいろ話している時に、会社としては穏便にまとめたいので何か希望はないかと、仕切りに笑顔で話して、俺を派閥に入れようとしてたな。あの時、きっと奥寺は 取引したんだ。俺はここまで来ると思ってなかったし、フリーでいたかったんで断った形になってるな。入社の時にお世話になった先輩が派閥争いに巻き込まれて退職したのを見て、どこにも入らないと決めてたからな。


 大泉は、八年前の事は誰にも言わずに自分一人で追うことにした。しかし、時間がない。定時前に上海、シンガポールの出張のために航空券とホテルを自分で予約した。いつもは庶務にお願いするが、社長に伝わるかもとかんがえた。関西空港からLCCで、今日の夜11時発シンガポール着5時。すぐに家に帰って準備するため、6時にはデスクを離れ、通用口から出ると、課長の宗君がニヤニヤしながら待っていた。


「おー、帰りか。」と、大泉が声をかけると、ちかよってきて、小さな声で、ボソッと

「シンガポール」とだけ言い、にやにやを続ける宗君。諦めて大泉は、一緒に来いと仕草で、宗君を会社から離れた飲み屋に連れて行き、ことの次第を説明すると、宗君は鞄から書類の束を出してきて大泉に手渡した。


 大泉は書類を見出して、驚いた。竹村、斎藤、奥寺の事が書かれている。しかもシンガポール設立の準備会議の資料と打ち合わせメモまであった。誰のメモかわからないが、極秘とスタンプ。そして、狙いは、食糧による世界企業になるための収益、すなわちお金儲け。その実現には、アジアからの超低価格食糧の調達が鍵。とあった。


「どこでこれを」と静かに聞く大泉。

「いや。それは言えないですよ。この件で、今から行くんでしょ。気をつけてください。とにかく、いろいろなことが裏でうごいてるようですから。僕は引き続き淡路と製造工程の件をしらべます。何か分かったら携帯のメッセージでやり取りしましょう。会社のメールは危ないですから。」と言う宗君は、残りのビールを一気に飲み干し、お代わりを頼んだ。


「なるほどな、 シンガポールを介してサプライチェーンをコントロールしているのは知ってたが、それ以上に何かをやってる。じゃ、それを調べてくるよ。ありがとう」と大泉は後輩に言い残して先に店を出た。無論、支払いを済ませて。


 書類を調べる大泉は、取引されている食糧の規模と動いているお金が合わないことに気がついた。しかも、この取引には、首相阿川が農林水産大臣の時に竹村社長とよく一緒に行動していたことを大泉は気づいていた。あのクリーンがイメージの阿川首相がまさか、当社と何らかの関係を持ち、今回の事件と関係しているのかと信じたくない大泉は、しかし、妄想を膨らまし続けていた。

 収益の流れが突然わからなくなっていることから、これはひょっとすると裏金作りと関係7得るのではと詮索の方向を自分なりの感で、絞り始めたがなかなか答えらしきものには行き当たらない。もう少し様子をみるしかないと我慢を自分に敷いていた。





 夜中の1時ボーイング777の中でメモを取りながら、今までの出来事を整理する大泉は、少し疲れていた。


 夜1時、関西空港からシンガポール・チャンギ国際空港に向かうボーイング777の中でメモを取りながら、今までの出来事を整理する大泉は、少し疲れていた。食品回収事件から3日。まさか自分に火の粉が降り掛かるとははじめ思わず、単に、淡路からの供給がどうなるか、自分がこれまで育ててきた、良質の食糧を提供してきた農家の人たちがどうなるのかと思い、走り出したが、それが災いしたことが今では分かってきた。明らかに、8年間のことが足を引っ張っている。しかし、この事件の裏には明らかに、今分かっている以上の何か大きな企み(社長一派の私欲)が隠されていると大泉は感じていた。そして、それを止めるのは私しかいないとも思い、新たな覚悟をすべき時がきていた。


 真っ暗な窓の外に目を向けると澄んだ空に星々の光に成層圏が浮かび上がっていた。2年前、家族をつれてシンガポール、マレーシアを旅行したときには、息子がずっと窓の外を眺めながら、誕生日にプレゼントしたモレルスキンの手帳に、何やらメモを取り続けていた。シンガポールについて、食事を取りながら、息子が詩を描けることを初めて知った。自分には文化的な才能はないので、だれの遺伝かと思いながら、家内の加奈とおもしろがって読んだことをふと思い出していた。


 疲れを感じながらも、毎朝のワークアウト(ストレッチとルームランナー)のおかげで、疲弊はしていなかった。むしろ、事件と家族のことを考えることで、闘志と熱意がわき上がり、シンガポールについてからの行動計画と段取りを自然に頭の中がフル回転して考え続けていた。まずは、上海支社に入ることは危ないので、まず、シンガポール生産科学研究所(先端工学のあらゆる生産活動への適用の研究を行う政府機関)の植物工場を研究しているドクター・チャンに会うことにした。今の製造工程を確立するために、2度ほど、コンサルを受けたことがあり、飛行機に乗る前に携帯から直接電話し、会う手配を済ませていた。



 朝5時。シンガポール・チャンギ国際空港。夜空が明けはじめ、綺麗な赤みと青さをそなえたそらが広がっている。ボーイングをおりた瞬間、湿気と熱風が襲ってきた。暑い。どっと、汗が吹き出し、朝からビールがのみたくなった。キャリーを受け取り、研究所には8時に伺うことにしており、たまらず、ラウンジに入り、ビールをお願いした大泉。


『ぐっとくるなー』と心で叫ぶ!





シンガポール生産科学研究所は、博士号を持つ400名の研究者が集まり、シンガポール政府のビジョン2025(2010年に設定された開発戦略)により7つの研究領域に振り分けられていた。その中でも食糧問題にフォーカスした、動植物科学生産研究グループのリーダを努める、ドクター・チャンは、中国生まれ、アメリカのMITで電子物理学の博士号を取得し、イギリスのオックスフォードで3年間、ナノテクノロジーの研究を行ったあと、シンガポール政府からオファーがあり、5年前にこの研究所に転職。そして、2年前からグループリーダーとなり、特に、植物の高効率低燃費生産工場の実現をめざし、遺伝子工学、ナノテクノロジー、メガテクノロジー、自動化モニタリング、獣医、園芸研究などの研究者を集め、総勢8名のドクターからなるヘッドメンバーとマスターどまりの研究生5名にテクニシャンが数名がいるグループで、比較的大所帯な研究グループだつた。


大泉は、研究所のロビーで、エレベ−タからおりてくるドクター・チャンを見つけ、笑顔で話かけた。

「や、おはようございます。ドクター・ちゃん。お電話しました大泉です。ご無沙汰しております。」と大泉。

「久しぶりですね。おはようございます。暑いところ大丈夫だったでしょうか。」とチャンは大泉の手を両手で抱え込むように握手をきつくして挨拶した。

「暑いですね。本当に、こんなに暑いとは思いませんでした。でも、大丈夫です。お元気でしたか? 工場設立の時には大変お世話になりました。

これ、簡単なものですが、どうぞ。」と大泉は関西空港で買った焼酎をドクター・チャンに手渡した。

うれしそうに、顔をほころばせながら、「焼酎ですね。うれしい。飲みたかったんですが、なかなか買いにいく時間がなくて。お心遣い、ありがとうございます。さ、私のオフィースに行きましょう。涼しいですからね」と手招きして、大泉をエレベータに導くドクター・チャン。


11階最上階の南東のエッジにドクター・チャンはオフィースをあてがわれていた。十分に広く、そして窓からの長めが最高のロケーション。

「いい眺めでしょう。ここは一番良い場所です。実は、研究所長のオフィースよりも良い場所だと皆に言われてます。」と得意げに話ドクター・ちゃん。「で、今日は、どうされました。急にお電話いただき、たまたま空いていましたので、よかったです。」と手招きして、デスクの前の椅子を進める。


 額の汗を右手で払いのけながら、どかっと椅子に座る大泉。そしておもむろに、鞄から1 枚の写真をだし、ドクター・チャンに見せた。

「これは、この間、淡路島で起きた、水質汚染による被害者の写真です。と大泉は説明を始める。今はまだ、食糧汚染の話は伏せておこう、ドクター・チャンは信用できるとは思うが、用心にこしたことはないと大泉は考えた。

「実は、この時ですが、ここからはオフレコでお願いできますか?(チャンは大きくうなずく、続ける大泉) 水質汚染地域の農家は私が教育開拓しました。依然、ドクター・チャンさんに始動を受けた、植物工場のラインに供給する高品質な野菜を作ってもらってました。でも、今回の水質汚染で、その供給が90%なくなったので、これから新しいやり方を開発する必要がでてきました。そこで、先生の植物工場の理論を発展させて、野菜内の水のコンタミを取り除くことが可能かどうかを相談したかったんです。それから、その野菜の供給者をこのアジア地域で心当たりがないかどうかですが。」と大泉は、今回の食糧問題の本質が、野菜内の水分内の微量なコンタミが、植物工場および食品の生産工程で何らかの化学反応を起こしたためでないかと推察し、それだとこのストーリの逆をドクター・チャンに聞けば手がかりがでるかもと思い、急遽、たずねたのだった。


 

「そうですね。水分が野菜の作物の中に供給され、成長するエネルギー源であることは間違いなく、私の理論から、植物工場の水質は厳格に設計管理されています。すなわち、化学成分を調整し、マグネシウム、ニッケル、ナトリウムなどを通常の水源よりも高く設定しています。もう、ご存知とは思いますが。その行程にあった野菜をおそらく淡路の農家に作らせていたんでしょう。すなわち、窒素やいくつかの成分を高くする、鉄分もそうでしょう。今回に淡路でのコンタミがなにかによりますが、それらを取り除くには行程を一つから二つ増やす必要があります。そうなるとコストアップが20%以上でしょうから、それをあなた方は耐えれるかですし、また、実現には1年以上かかると思います。莫大な研究費とリスクもですが。

 それは難しいから、おそらく大泉さんは、アジアから似たような食糧を供給できないかとの相談ですね。」と本質を尋ねてきたチャンに大きくうなずく大泉。


「そうですね。二つのことを混同して説明してました。ドクターの言われるとおりです。まず、淡路の食糧はヒ素と言われてました。我々は入手できてないですが。それから、淡路の農家に作っていただいていたのは、ご指摘の通り、鉄分と銅分が高い野菜です。それに近いものをアジアで満つ固いのですが、可能でしょうか?」と大泉はドクターにたずねた。

 

くるっと椅子を回し、外の景色に目をやるドクター・チャン。そこに、秘書、ダークグレーのスーツがピチットした身体にびったりと張り付き、そのナイスボディを強調し、見た目が最高な、、、、がコーヒーを2つサーブしに入ってきた。

「ああ、ありがとう。ジェシー。この方は、大泉さん。古い友人でね。」と紹介し、会釈して出て行った

「まず、問題を整理してレポート、1枚でいいけどね。をください。それをもとに、考えてみます。社長はこのことをご存知なんでしょうね。」と少し目を細めて、大泉にただし。大泉は、『もちろん』と答えた。


コーヒーを飲みながら、アジア地域経済について少し雑談をかわした後、レポートを2、3日中に送ることを約束し、大泉が研究所を後にしたのはすでに11時になっていた。





 大泉は迷っていた。本当は、何が本質的問題なのか。わからない。


 淡路での調査は、結局品質管理部の協力がないので、これ以上進みそうになかった。それに、奥寺の裏切りもショックだった。一番の友人が、初めに裏切っていたことになる。結局、金か。と大泉は少しムカムカしていたが、しんがぽーる支社によって、一応、食糧調達の相談に来たフリだけはしておこうと、思った。

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