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上京の途

 新幹線の、車内である。
 いよいよ、妻が産気づいたのだ。
 夜が明けるのを待ち、早い時間の新幹線で、東京の大学病院へ向かうのだ。
 グリーン車である。
 普通車両に、ろくな空席がなかったのだ。
 人と人の間に、もぐりこむような席しか残っていなかった。どうせそわそわするから、人に迷惑をかけるより、多少高くても、大人しく孤立していよう、と考えたのである。
 片側、一つだけの座席。
 その最後列に、私は座っている。
 広い席だ。
 広い席だけれども――
 漫画や、仕事の資料を読んでも、ろくすっぽ頭に入らなかった。といって、眠る気にもならないし、食事をする気にもなれなかった。じっとしていることも、また難儀なのである。
 ――窓外を眺める。
 山。
 街。
 山。
 そうして、次の駅がきた。
 もう、何百回と乗った路線である。いまさら見て、感動するものなどない。
 ――と。
 私は、正面へと視線を転じた。
 通路を、何かがゆっくり進んでいったのだ。
 首を伸ばして見ると……
 機械の後ろ姿であった。
 機械――
 ファミリーレストランや居酒屋でよく見る、配膳ロボットのような形状である。
 いや、形状だけではない。
 機械は、ある場所で動きを止めると、くい、となめらかに、右にボディを旋回させた。
 右側は、2席横並びの列になっていた。
 そこに、老夫婦とおぼしき男女が座っていて、機械から何かを受け取ったのだ。
 つまり、一連の動きだけ見れば、配膳ロボットそのものなのだ。
 新幹線にも、配膳ロボットが使われはじめているとは知らなかった。
 いや、ひょっとして、ふだん普通車両に乗るから知らないだけで、グリーン車やグランクラスの車両では、すでに実装していたのだろうか? 
 ともかく。
 あれが配膳ロボットで、車内販売の物品を運ぶものであるなら、何かメニュー表のようなものが用意してあるはずだ。どこにあるかと言えば、各座席の、ラックにあると考えるべきであろう。
 ところが。
 そんなものは見当たらなかった。
 ほかの席を見ても、それらしいものはないのだ。
 やがて、機械はデッキへ消えた。
 デッキは手洗いになっている。その先は、普通車両である。
 私は立ち上がり、機械のあとを追った。
 追えば、何かわかるかもしれない。
 もちろん、道すがら、さっきの老夫婦をちらりと見ることは忘れなかった。テーブルの上に、麦茶だか何だかのペットボトルがあったけれども、それがロボットに運ばれたものであるか、判然としなかった。
 デッキに入る。
 配膳ロボット、なし。
 どこにもいないのだ。
 立ち入り禁止の扉はないか。
 ない。
 そんなものはないのである。
 まさか。
 もう、次の車両へ移ったか。
 あのスローモーからは考えづらいけれども……
 前の車両を覗いてみた。
 ない。
 ロボットはなかった。
 逆に、生身の人間による車内販売のちまたであった。
 席へ戻った。
 まんじりともしなかった。
 長い、落ち着かない時間の再来である。
 配膳ロボットは、東京駅に到着するまで、二度と現れなかった。
 あの老夫婦も、どこかで降りたようである。
 あれは、何だったのだ?
 本当に実在したのか?
 もしかしたら、いまの、平常心にあるとはいいがたい心理が見た、まぼろしではないだろうか。
 乗客や乗員が、何かの作用でロボットに見えたのではないか?――それがロボットである意味は、わからないけれども……
 ひょっとすると、たまにある話なのかもしれない。
 ないとは言い切れなかった。
 なぜなら、自分はいま、初めての体験をしているのだからというのが、私の正直な気持ちであった。
 
 
 


 

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