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高齢のお客

「店長、ちょっと」
 バックヤードで、店長は本社から来たマネージャーと打ち合わせをしていた。
 中座し、こちらへ出てきた。
「なに」
「ちょっとあの、高齢者が」
「暴れてんの?」
「いや」
 一朗はかぶりを振った。
「ボケてる系?」
「ええ、まあ」
 一朗は頷いた。
「それに近いというか」
「いずれにしても、いま手ェ離せないからさ。ダメならうちの人か呼ぶか、警察呼ぶってなったら俺に言って。オーケー?」
「はあ」
 携帯ショップを訪れたのは、老夫婦。
 八〇歳くらいだろうか。
 予約はなく、待機スペースでずいぶん待たせたが、涼しい顔。
 のんびりテレビを観るだけで、事前のタブレットによるアンケートには、回答がなかった。
「お待たせしました」
 顧客情報がないか調べてくる、などと言って席を外していたのだ。
「それで――お客さまは、スマートフォンはお持ちで?」
「ないわなァ」
 間延びした調子で、爺さんが言った。
「そんなもん持っとらんかったわなァ」
「こないだ農家共済でもろたの、あれちがう?」
「あれお前、目覚まし時計やないか」
「ああ、そう」
 それなりに身ぎれいで、言葉もしっかりしている二人なのだが、なんの用で来たのだかまるで要領を得ない。
「あのですね、われわれにできることは、スマートフォンを新しくご用意させていただくことか、いまお持ちのスマートフォンを、別のスマートフォンに買い換えていただくお手伝いをさせていただくことの、二つです」
「料金料金。料金変更」
 となりの窓口から、同僚が口を挟む。
 一郎は少し苛立って、
「いや多分ないんすよ」
 それから、老夫婦に向き直り、
「ですから、スマートフォンをご入用でない場合は、お役に立てませんからお引き取りいただいたほうがよろしいかと思います」
「ほう」
「ええ」
「ほう」
「ええ……」
「で、あんた結局なにが言いたいんや」
 一朗はこらえ、
「ですから、スマートフォンをご入用でない場合は――」
「スマートフォンちうもん持っとったらなにできるのん? そやかて炊事洗濯で一日終わるしなァ。新しくなにか始めよういう気にはようならんわ」
「そんなもんお前だけやないやないか。おれなんか朝から晩まで畑行っとるんやないか。用水の堰も世話せなあかんし、この歳で、今年から氏子総代やっとるんやぞ。そんなもんおらへんで。自分ばかり苦労してる思うたらあかんぞ」
「一度」
 一朗は仕切り直す。
「一度、ご家族の方にご相談なさったらいかがです?」
 後ろが詰まって、待機は八組。
 埒があかない、土曜の昼下がり。
「家族なんか、急には会われへん」
 と、爺さん。
「えらい離れとるんやから。無茶言うたらあかんで」
「そうや。そんなん言うたらお父さん可哀想や」
 そのとき。
 一朗は、おや、と思った。
 爺さんの開襟シャツの、胸ポケット。
 最初は、煙草の箱が入っているのかと思っていたのだが……
 ピコンピコン、と、小さな赤色の明滅。
 それを繰り返しているのだ。
「あの、失礼ですが」
「なに?」
「そちらの、ポケットの中にあるものは……」
「ポケット? これか?」
 爺さんは、無造作に取りだす。
 それは――
 たしかに、煙草の箱と似た形状をしていた。ただし、黒塗りである。それに、硬そうな材質で……二つ折りの携帯電話にも見えなくはないが、奇妙なのは、大きな丸型のスイッチが一つあるきりで、あとはごく小さなライトが、例の赤い明滅を繰り返しているのだった。
「なんです?」
「これか?」
「ええ」
 爺さんは、手中で物体を弄びながら、
「さあ。なんやったかな。母さん知っとるか?」
「さあ。なんやったかなァ」
 二人とも、わからない。
 だが。
 爺さんはいきなり、スイッチをカチン、と押した。
 すると……
 店舗の床に、黄色い、直径二メートルほどの円が生じた。
 その円から、円柱が立ち上がり……
 黄金色の円柱の中に、若い女性。
 ツアーコンダクターのような――小旗を手にした、スーツ姿の女性が現れたのだ。
「ここにいらっしゃったんですね!」
 女性は、老夫婦の手をとって、
「ずいぶん探したんですよ。ああ、よかった、無事でいらっしゃって。さ、バスへ戻りましょう。自由散策の時間は、とっくに過ぎましたよ」
「ほう、そうか」
「ツアー来とるんか今日」
「ほな、どこに集まらなあかんかったやろな」
 円柱へ戻る前に、女性は一朗にウインクをし、
「どの次元も、高齢化が進んで大変ですわね。ツアー旅行なんか大半がお年寄りでしょう、迷子になっちゃうケースが多くて、毎度手を焼くんですのよ」
 三人は、円柱におさまった。 
 すると円柱は、ストン、と床へ潰れる。
 あとには、もうなにもなかった。
 

 
 

 
 

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