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トー・トー・トー・ツツツ

 MFICUの家族待機室からは、病院に林立する棟が見渡せた。
 かなり上階にいるために、どの棟をも、見下ろすような視界である。深夜だから、外来棟や外科病棟は、総じて暗い。その中に、僅かに、変光星がよろめいた光りを放つように、常灯している窓があった。ナースステーションらしかった。
 窓の外を眺めるほか、することがなかった。
 漫画を読んだり、仕事の原稿を書いたり、くだらない俳句を作ったりしたけれども、さすがに半日も待ちぼうけだと、疲れるし、飽きてしまった。日曜日は、もう間もなく終わろうとしていた。
 窓の外――
 私は、ある、一つの窓に着眼した。
 暗い部屋に――
 ぱっと、明かりが灯った気がしたのだ。
 そう思うと、しゅん。
 すぐに消えた。
 闇。
 また、光。
 ――闇。
 それから、今度は、ほとんど間を置かず、明滅が3回起こったのである。
 それから――
 闇。
 あれは――
 あれは、遭難信号ではあるまいか?
 トー・トー・トー
 ツツツ
 トー・トー・トー
 昔、山歩きをしていた頃があった。そのときに覚えた――万国共通の、SOS信号なのだ。
 打電が再開された。
 トー・トー・トー
 ツツツ
 トー・トー・トー
 間違いない。
 SOS信号である。
 あそこは、外科病棟だ。
 あの部屋が、何の部屋だかわからないけれども――誰かが、助けを求めているのではないか?
 だが――おかしな話だ。
 患者のいる部屋なら、当然、ナースコールがあるはずだ。わざわざモールス信号を使う意味がわからないし、職員のいる部屋なら、内線電話とか、無線機があるだろう。それとも、いたずらをしているのだろうか?
 トー・トー・トー
 ツツツ
 トー・トー・トー
 ――段々、不安になってきた。
 本当に、だれかが助けを求めているのではないか?
 患者だか、職員だかわからないけれども、あの部屋に閉じ込められているのだとしたら。たまたま、通信機器も持っていないとしたら。部屋の電気をつけたり、消したりして、異常を知らせても、不思議はないのではあるまいか?
 トー・トー・トー
 ツツツ
 トー・トー・トー
 ――看護師が入ってきた。
 ご主人さま、お疲れでございますね。もう間もなくだと思いますけども、今しばらくお待ちくださいね。何の異常もないからご安心をね。
「あのう」
 私は、看護師に訊ねた。
「あの部屋は、なんです?」
「どの部屋?」
「ほら、外科病棟の、あの部屋ですよ。光がついたり、消えたり――見えますでしょう? あれは、SOS信号じゃありませんか?」
「…………」
 看護師は、しばらく、私と一緒に光の明滅を眺めた。
 それから――ふふふ、と鼻から笑いをこぼした。
 それから、にこりと私に向き直った。
「さあ、何でしょう?」
「何の部屋ですか、あれは」
「それが、わたし外科病棟にいたことがないものですから、わからないんです。こんな大病院ですから、恥ずかしいですけど、わからないんです。すみません」
 それきり、看護師は行ってしまった。
 あの部屋は、もう、真っ暗だった。
 二度と明かりは灯らない。
 あたかも、息絶えた、という感じであった。
 こちらの棟は煌々と光をまとい、闇に沈んだ棟の顔を青白く浮かび上がらせては、愉しんでいるのだった。
 

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