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日常的光景

 それは、良かれ悪しかれ、きわめて日常的な光景といわねばならない。
 中央線の駅を出て、駅前広場のロータリーへ歩いて行くと、写真入りのプラカードを提げた女性が立っている。保護猫、保護犬のための募金活動である。寄付金は、避妊手術とか、ワクチンとか、食糧のために遣うのである。
 田舎ではあまり見ないけれども、都内なら、どこの駅でも見掛ける光景だ。近くに不動産屋の青年がいて、右往左往、通行人に営業をかけるさまも併せて、変わり映えしない、見慣れた日常であった。
 ところが、今日は、何かが違っていた。
 いつものとおり、彼らの前を通り過ぎたあとで、ふと立ち止まったのだ。日常的光景として、すんなり流れ去らないものを感じたのである。
 といって、女性の髪が紫色だったとか、不動産屋がピエロの格好をしていたとか、背丈が異様に大きいとか、そんな視覚的なものではなかった。振り返り、彼らを眺めるだに、何の変事も見当たらないのである。
 想念だ。
 想念。
 私は、ある想念にとらわれていたのだ。
 ひょっとすると――彼らは、日常的光景として、素通りしてはいけないものなのではあるまいか、という想念である。
 誰もが素通りし、誰もが次の瞬間に忘れる存在――私にとってもそうだけれども、実は、彼らは私を待っているのだ。ずっと、待っているのだ。
 日常的光景の壁を乗り越えて、いつか、私の目に止まるときを。そのとき、私は私で、彼らがどういう存在であったかを知るのだ。一瞬にして。前世の知人か、魂の朋友かわからないけれども――
 しかし、そんなことが起こり得るだなんて、私は信じていない。
 それなのに、そういった気分に、ふととらわれたわけである。
 はっと我にかえると、犬猫の女性も、不動産屋も、人をつかまえて、話をはじめたところだった。
 見るにつけ、女性も、青年も、絶対に私の見知った顔ではない。
 もちろん、彼らにしたって、私をろくに視認することもなかったはずである。
 想念は、凧がふわりと流れ去るように、どこかへ消えていったのだ。
 消えて――
 私はまた、歩きだす。
 彼らとは、反対の方向。日常的光景の、延びる先へ。
 すべては、またもやってきた、初夏のひだまりのもとで起こったことだった。
 
 
 

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