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食事作りと私。

 食事作り。

 それは主婦にとって終わりなき戦いのひとつである。
 人間は食べなければ生きていけない。
 しかし食事というものは勝手に湧いて出てきたりはしないのである。
 誰かが作るか、もしくは買ってこなければ食卓にはのぼらない。そしてその誰かというのは、大抵は一家の主婦が担っているものなのだ。

 あるいはお金持ちの家であれば、家事のすべてを引き受けてくれるお手伝いさんがいて、自分で作らなくても時間になれば食事が出てくる夢のような生活もありえるだろう。
 しかし世の大部分の家庭はそうではない。
 当然ながら我が家も例外ではなく、その大部分に当たる。そうである以上、おのずと食事を用意するのは主婦である私の仕事となる。

 食事作り。

 これほど主婦の時間を大量に奪う作業が他にあるだろうか。
 掃除や洗濯ももちろん大変ではある。しかしそれらの作業はわりと単純で、何も考えなくてもそれなりにできてしまうものだ。
 しかし食事作りだけはそうはいかない。
 まず献立を考えるところから始まり、献立が決まったら冷蔵庫の中身を確認して足りない食材をピックアップし、買い物に行き、そして料理を作る。
 かなりはしょって書いても、これだけの作業を要求されるのだ。

 献立を考えるとき、まず学校の給食予定表を確認する。メニューがかぶるのを避けるためだ。
 そして、毎日のメイン食材は同じものが続かないように予定を組む。月曜日が魚だったら火曜日は豚肉、水曜日は鶏肉といった具合にだ。
 そしてメイン食材が決まったら、どんな味付け、どんな料理法にするかを考える。それも給食とかぶらないように気を付けなければならない。
 ただ単にメイン食材が被らなければいいというものではないのである。
 ここまでですでに相当面倒くさいことがわかっていただけると思う。しかし現時点ではまだ献立を考えただけだ。
 勝負はこれからなのである。

 次は買い物である。

 冷蔵庫の中身を確認し、足りない食材をピックアップし、買い物メモを作成する。財布の中身も確認する。
 そしていざスーパーへ。
 調味料などは何も考えずともメモの通りに購入すればいいだけだが、生鮮食品はそうはいかない。棚に並んだ食材を瞬時に吟味して、これだと思うものを引き当てなければならない。
 ちょっと前までは、じっくりとあれこれ手に取って確認していたが、コロナが蔓延してからというもの、あまりべたべたと触るのはよろしくない行為になってしまった。
 目視で吟味し、なるべく手に取ったものは棚に戻さないように心がけているが、これがなかなか難しい。
 買い物一つとっても、面倒くさいことこの上ないが、食材は買っただけでは意味がないのである。
 もちろん、調理しなくても食べられるものもあるだろうが、やはりそればかりでは味気ないというものだ。
 誰かが全部作ってくれれば楽なのだが、いかんせん、夫は料理だけは絶対にしない人だ。息子は気が向けば手伝ってはくれるが、なかなかに手つきが危なっかしいので、それはそれで余計に時間がかかる。それに、息子は学校もあれば宿題もあり、それなりに忙しい。
 そうなれば、おのずと料理をするのは私しかいないということになる。

 さていよいよ食事作りである。

 午前中のうちに切ってしまえるものは切ってしまい、あとでレンジにかけるものはラップで包み、そうでないものはビニール袋に入れて冷蔵庫に入れる。
 午後、息子が帰ってくる頃に米を研ぎ炊飯器にセットしつつ味噌汁のだしを取る。肉や魚の下処理をする。副菜で作っておけるものは作ってしまう。
 そして夜、メインの料理を作り、味噌汁を仕上げる。これでようやく、食事にありつくことができる。

 何とまあ、一日の大部分を消費する作業であろうか。
 私は専業主婦なので、これだけの作業をこなしても、まだ自分の時間を多少確保する余裕はある。しかし兼業主婦の人々はいかにして毎日の食事を用意しているのか想像もつかない。フルタイムで働いて、かつ主婦業もこなしている人はスーパーマン、いや、スーパーウーマンではないか。

 そんな風に考えながら、今日も私は食事を作るのであった。

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