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【掌編】穴の奥のキャラバン

 カーテンがしっかりと閉じられていることを確認し、壁に埋め込まれた給気口の蓋を取り外す。熱された砂の、乾いた匂いが漂ってくる。私は穴の中をじい、と見つめた。奥には白んだ青空と灼熱の砂漠が広がり、キャラバンの影が遠くに揺れている。

 去年の暮れ、夫婦で行ったインド旅行最後の夜にバラナシの路地裏で手に入れた怪しげなカーテン。異様に遮光性能の高いこの布地で部屋のすべての窓を塞ぐと(他にも部屋の照明を落とす、香炉を炊く、呪文を唱えながらシャーマン風に踊りを踊るなど細かなルールや手順はあるが)、露天商の男の言う通り、真昼の十分間だけ、この地味な奇跡は起こるのだった。

「間に合うかな?」
「先に出しておきましょ」

 私は妻の言う通りに、あらかじめ袋詰めしておいた野菜、肉、パン、水、酒、ジュース類、菓子、それから依頼されていた数種の道具などを穴に突っ込み、手作りした専用の棒で押し出した。

 しばらくして商隊がたどり着き、ガテン系の作業員が建築材料を運び込むようにして、急ぎ丸めた絨毯を押し込んできた。我々は手早くそれを引き込み、続けてその他の珍奇な地産品を渡してもらう。もうすぐ時間だ。

 妻がアラビア語で別れの挨拶を言うと、ターバンの男は真剣な顔でなにか言い返してきた。

「なんて?」
「あれよ、ほら!」

 私は急いでキッチンへ向かった。冷凍庫からカップアイスクリームを持ち出して部屋へと戻り、穴に放り込む。男は必死の形相で手を伸ばし、カップを掴み取った。彼の腕が抜け出すと同時に、奥の景色が揺れる鏡面のようになってまばゆく輝き始める。強い風が吹き込んでくる。

 我々は急いで給気口に蓋をし、定められた手順に従って『断界の儀』を執り行った。部屋が僅かに振動し、カーテンが少しく揺れ、後にはただ無音の時間が、私たちの間を流れ過ぎていった。

 絨毯を広げたとき、我々はまだ砂の匂いと、異界の太陽が残した温かみを感じることが出来た。



 数日後、Yahoo!ニュースの記事が目に止まった。
「古代遺跡アル=ヒジュルで謎の紙片が発見される」
 画像を確認すると、それは色褪せばらばらになった、明治エッセルスーパーカップ(バニラ味)に違いなかった。

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