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2種類の「大丈夫」


自分で言うなという感じですが、不勉強です。
あんまり医学的なことも心理学的なことも勉強していないので、ひたすら現場で事象を観察してその場で感性を研ぎ澄ませつつ思考を展開しています。
そうやってたくさんの物事を見ているうちに、そしてそれを言語化していくうちに(主には診療の場面なのですが)、新しいものの見方を思いつくことがあります。
当然ながらほとんどのアイデアは誰かしら偉大な先人たちが先に理論化しているのですが、自分の臨床感覚と照らし合わせて違和感のない思考のフレームワークができることは面白いなと思いながら仕事をしています。

先日、診療中に思いついたのは、「2種類の『大丈夫』」についてです。

ケース

発達障害のお子さんを持つお母さんと話していた時のこと。
子どもがどうしても「大丈夫」と納得できずに、自分で自分を追い込んでいくとのことでした。
とても頭の良い子なのですが、ASD(= Autism Spectrum Diorder / 自閉スペクトラム症)の児にありがちな「見通しが立ちにくい特性」があるため、「なんとなくふわっと『まあ大丈夫だろう』という理解がしにくい」状態でした。

不安が強いこの子にどうやって安心してもらうか、どうやって「大丈夫」だと思ってもらおうか、お母さんと頭を悩ませていました。

「大丈夫」には2種類ある

その時に思いついたのが、「『大丈夫』には2種類ある」ということ。

一つは、理解・納得の「大丈夫」
もう一つは、安心・安全の「大丈夫」です。

➀理解・納得の「大丈夫」

これは、自分で論理的に納得する方法です。
人が自分で「大丈夫だ」と思えるためには、事態を把握しておく必要があります。現状を把握し、情報を整理し、見通しを立てる。それによって実際に「大丈夫」と思える根拠を手に入れます。どこまで細かく情報収集すれば納得いくかは個人によると思いますが(そして得てしてASD児はどこまでいっても納得しませんが)、これを考えることによってある程度の見通しを立てて安心することができます。
自分の基準に照らし合わせて、自分自身が納得できるか、そのための客観的な材料は十分か、組み合わさっているか、という思考形式です。

②安心・安全の「大丈夫」

もう一つは、論理的な根拠以外の何らかの方法で「これは大丈夫なんだ」と信じることができる状態になる、という方法です。
主だった方法は「誰かに『大丈夫』だと言ってもらう」です。
子どもの場合は、親がそれにあたることが多いでしょう。例えば初めての公園で見知らぬ子どもたちに遊びに誘われたときに、親が「大丈夫」と言ってくれることで、子どもが集団に入っていける、というあれです。
その時の親の「大丈夫」には何の論理的根拠もありませんが、それを受けた子どもは安心することができます。
僕が敬愛する松岡修造神の「大丈夫!君ならできる!」もこれに当たります。修造神が言うなら大丈夫なんです(真っ直ぐな瞳で)。

まとめると、前者が論理的で主観的で主体的であるのに対し、後者は情緒的で外部的で受動的な方法であると言えるでしょう。
どちらが良いという訳ではないかもしれませんが、自分はそれぞれのタイプが何割ずつなんだろうと考えてみるのも面白いかもしれません。

余談

ちなみにケースの児はおそらく前者がかなり強く、後者はほとんど機能していなかろうという結論になりました(お母さんですらどれだけ寄り添っても納得しない)。
でもお母さんも自分自身が基本的には前者で詰めて考えるタイプだとのことで、児の心配に対してお母さんが頭の中でやっている論理的思考アプローチを図式化して共有してみてもらうことになりました。

そしてちなみに僕は、論理的にざっくり詰めるとあとは考えるのがめんどくさくなって思考を放棄し、特定の信頼している人に「大丈夫」と言ってもらって残りの安心を後押ししてもらうタイプかなと思っています(笑)

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