参与観察の具体と抽象
今日のビジネススクールの授業で「参与観察」なるものが出てきました。
ので、それにまつわる話を。
参与観察とは
端的に言うと、文化人類学でよくある「相手の生活や文化に入り込んで中からじっくり観察をすることにより、自分たちの先入観や常識のフィルターを外してより真実の姿に近い理解をする」という方法です。
今回の授業では、工場のオペレーションを参与観察的に検証することで、新しい気づきが得られるというような内容でした(うろ覚え)。
具体例を扱う意味
実は精神心理などの人文社会科学界隈では、参与観察的な観察は割と頻繁に行われているのではないかなと思います。
その最たるものは学校で、教員の先生たちは正に生活の中で子どもの様子を観察しまくっている訳です(研究手法的な話で言うと、当事者である教員よりもスクールカウンセラーの方がより客観的かもしれませんが)(ちなみにビジネスでもこういう手法が使われているというのは個人的には割とびっくりでした←偏見)。
マクロ的に見た事態の検証や解釈・解析ももちろん大事なのですが、個別の事例に関してメタ的に見ていくことで示唆を得る、みたいなのは方法としては有益だと思います。
今日の授業でも「個別の事例をやるのは、そこから抽象化した本質的な考え方を学ぶためであり、逆に個別の事例を論文で語るのは、その事例を通して伝えたい本質があるからだ」という先生のコメントがありました(拡大解釈による意訳)。
ここたぶんすごく大事で、具体を扱う意味ってここなんやなと感じさせられたコメントでした。
僕たちが何かを説明する時に具体事例や仮の例えを出すのはなぜか、という問いに対するクリアな答えだなと思います。
結局、具体と抽象
最近の個人的パワーワードは「具体と抽象の往復」です。
先日のみつばちオンライン配信でもその話になりましたが、何事も突き詰めると割と同じような話になったりします。それはなぜかというと、抽象化がしっかりできているから。
「これはつまりどういうことだろう」「これって何と同じなんだろう」と折に触れて考えることが、良いトレーニングになりそうです。
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