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失敗は意味のあるタイミングで

外来で、よく「ちゃんとできない子どもに」「どこまで親が手を出して良いのか」という話をされます。特に発達にバラつきのある思春期前後の男子のお母さんからが多いです。
身支度がちゃんとできない、脱いだら脱ぎっぱなし、忘れ物が多い・・・
こういったことに、どこまで親が手を出すべきか?失敗させて学ばせた方が良いのではないか?
皆さんかなり悩んでおられます。
そういう時に僕が問いかけるのは、「いまその失敗をさせて、この子に意味がありますか?ありませんか?」ということです。

そもそものゴールはどこか

僕はなんでもすぐに「なんでそう思うの?」という話に持っていく癖がありますので、まずはそこから(笑)

「子どもをちゃんとさせたい」のは何故ですか?僕が思うに、大きく分けて二つの理由があります。
①今の生活が困らないようにするため
②将来、自分のことが自分でちゃんとできる大人になってほしいから

これらを、「宿題を忘れる」という例で考えてみましょう。

①今の生活が困らないようにするため
これは大事です。
宿題を忘れると、先生と親に怒られ、成績が下がり、なんなら友達からも「あいつちゃんとしてないよな」と思われ、自分でも「どうせちゃんとできないしな」と思ってさらに行動がとれなくなる、というふうに何も良いことがありません。
実際の生活面として、「必要なことができた状態にする」という意味で、親が手を出すのはアリだと思います。

②将来、自分のことが自分でちゃんとできる大人になってほしいから

もう一つは、これです。こちらを意識している親御さんが多いと思います。
そして、親として至極真っ当な思考回路です。
ただしここでポイントなのは「自分で」というワードです。
「自分で」できるために必要なことは何でしょうか。
それは「我が事」だと思えることです。「必要性を実感して、自発的にやる」と言っても良いかもしれません。

そう考えてみると、、、果たして彼らにそれができるでしょうか?
僕はあまりそうは思えません。
彼らは「言われたから」「仕方なく」宿題をやって提出します。
宿題をすることの意味や意義、必要性、自分に対する効果など、微塵も考えていません。
むしろ「それどういうこと?」というレベルです。
ちなみに僕も大学に入って一人暮らしをしてから、電気を消したり、ちゃんと戸締りしたり、生ゴミをちゃんと捨てることの意味を実感しました(それまでも言われたからやってたけど)。

「いまその失敗をさせて、この子に意味がありますか?ありませんか?」

さて、そういう子に「宿題を完成させ、準備をし、学校に持って行って提出する」ということを自分でさせるとします。
先ほどの2つの切り口で考えてみると
①できるでしょうか?
②できなかった時に学びになるでしょうか?

この答えが「Yes」でない場合は、親がサポートしても良いと思います。
「ずっと親が手助けしてるからできない」ことももちろんあるのですが、「親が手助けしなかったからと言って、必ずしもできるようにはならない」のです。

その子の段階・状況によって、見守るのと手を出すのはどちらも正解なのです。

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