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「ただそこにいる」ことの効果

児童精神科外来においては、もちろん解決すべき問題=現象があります。逆に言うと、問題があると思っていない人は病院に来ません。

その現象は解決されるべきか?

これは実際のケースに基づいた設定なのですが、例えば「小3の女児が学校で頑張りすぎて、帰ってくると家でイライラしている」「しばしば荒れて親に八つ当たりをする」「母親がなだめると多少落ち着くが、父が対応すると全く聞かないどころか余計にイライラしはじめる」「母親は板挟みで困っている」「父親はどうしていいか分からず曖昧に笑うしかなくなっている」という現象があるとします。
この問題を解決したくて病院に来ているとして…、さて我々はどうするべきでしょうか?
その子に言って聞かせて大人しくするよう説得するのか。学校で手を抜くように指導するのか。母親が間に入って関係を調整するのか。家で出来るだけ父親と一緒にいないようにするのか。

どれも試してみる価値はありますが、これだけでは上手くいかないことも多いです。
それは、このように「その現象を解決する」ことが目的になっているからではないでしょうか。

とりあえずその場にいてみる

こうなると父親としては手詰まりになります。上手く関わろうにも、アプローチした時点で状況が悪化してしまいます。手を替え品を替え近づいてみても、父親が近づいた時点で娘がイライラし始めるので、お手上げ状態です。

そこで「まず一緒の空間にいる」ところからやり直すことにしました。お父さんには「何かしてあげようと思わなくていいので、児がリビングにいる時に同じ空間にいてください。お父さんは好きなことをしててもらって大丈夫です。ただ、たまに何してるか視線をやったり、気にはしておいてください」と伝えました。

やったのはそれだけです。
でも、父娘の距離は自然に縮まっていき、イライラが解決はしないものの、父親と娘のやり取りが成り立つようになりました。

娘も別にお父さんの顔を見ただけで怒っていた訳ではなく、お父さんが恐る恐る近づいて来たり、自分の意向を無視するかのように関わってくることがダメだったのです。
自分がイライラしている自覚はあるわけですので、その状態を見守ってもらう=しんどいということを肯定してもらうことで、さらなるストレスの上積みを避けることができました。

解決しなくても良いこと

我々支援者は言わずもがなですが、保護者も「子どもには何かしてあげなくてはならない」と思いがちです。でも子どもには子どものペースがあるし、その現象を解決しようとすることで逆に「その現象は問題なんだよ」というメッセージを子どもに送ることにもなります。

このケースでは、結局なにも解決に向けた取り組みをしませんでした。したのはただ「お父さんが恐れずに娘と同じ空間にいた」だけです。もう少し整理して言うと、「児がイライラする気持ちを正当なものとして認める方法として、黙って一緒の空間にいるということを選んだ」という感じでしょうか。

何もしないけど、そこから逃げない。
そんな方法で子どもと向き合うこともできるのです。

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