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魔法で理解する金融危機の概念

遅ればせながら、皆様明けましておめでとうございます。
皆様大変ご無沙汰しております。
忙しい時って、タスクじゃないことしたくなるよね(挨拶)。

さて。
先日、大学院の授業で某N證券の偉い先生のお話を伺いました。
金融の話は全っ然わからなくてしょんぼりしていたのですが、一生懸命聴いて半泣きでレポートを書いていたら面白いことを思いつきました。

金融は、魔法だ

ここで言う「魔法」とは、いわゆるドラクエ的な「中世の世界観をもとにしたファンタジーで出てくるやつ」を想像してください(落合陽一さん的な意味ではなく)。
人間に内在している魔力を使い、人間の限界を超えた様々な現象を起こす、アレです。

これってすごく金融に似てますよね。

魔力を用いて、魔力そのものにできること以上のことをする。
お金を用いて、お金そのものにできること以上のことをする。

魔力そのものではできることに限界があるのですが、アウトプットを魔力以外に変換してみたり、様々な媒体(呪われたアイテムとか)を使うことによって魔法の効力を変化・増幅させることが可能なわけです。

先生は講義で、金融について「人間の身体がリミッターになる範囲を超えて、人の生理的欲求と無関係なレベルに経済活動の中心を移す。だから『もっと』の欲望に歯止めをかけないと」と仰っていました。
つまり超絶ざっくり言うと「お金×体の外にある欲望=暴走」となりうると。

これを魔法的に例えるとすると「人々の憎悪を触媒に増幅させた魔法は、術者のコントロールを離れて暴走しうる」みたいなことと構図が似てるんじゃないかなと思います。


ぼうそうした まりょくが ばくはつを おこす !!

金融危機って、まさにこれじゃね? と思いました。

魔法で言うと、
「力量の不十分な術者がコウモリの羽やトカゲの干物を使う高難度黒魔術でレベルの高い悪魔を呼び出したら、コントロールできず喰われてしまい、さらに悪魔が暴走して辺り一帯が全滅した」
という感じでしょうか。

金融で言うと
「力量の不十分な金融マンが様々な金融商品を創作しまくってバラまいたところ、人々の欲望が思いのほかすごくて金融市場がコントロール不能になり、人々の暮らしにダメージを与えた」
ですね。
人々の欲望をナメんなよ、ってことですね(笑)

原発もそうですよね。
人間個体にコントロール不可能なものを作ってしまうと、何かがあった時にシステムだけではコントロールができない。
(ちなみにこの文章では原発に対する政治的なニュアンスは特にありません)

もっと言うと、自動車もそうです。
僕たちの体の範疇を超えて躍動するものは、トラブル時のダメージも大きい。

1歳児が自分で歩いていて転んでも(普通は)死なないのは、彼らの身体的な範囲でのエネルギー量にとどまって活動しているからです。

こうやって考えてみると、科学技術を使ったものはほとんどが「本質的なコントロールの外にあるもの」です。
人間もそれを良く分かっているから事故予防やトラブル対応策を準備しておくんですが、それでもやはり事故は起こる・・・。


身体的に納得できる範囲で理解する重要性

ここから得られる示唆は「欲望のコントロールは重要かつ難しい」「人間は身体の範囲を超えたものは感覚的に理解し得ないのではないか」ということです。

前者については、これは本当に難しい。
何の本だったか忘れたんですが最近読んだ本で「CMは、人に不要なものを買わせるための方法だ」と書いてあるものがあって、ちょっと笑ってしまいました。しかし「だって大根やゴボウのCMってないでしょ。本当に必要なものはCMがなくても買うんだよ」とも書いてあり、確かに…と思う面もあり。
人は様々なものを見せられるとやっぱり欲しくなってしまうものです。それがゼロだとまあそれはそれで人生面白くないのですが、でも欲望に振り回されるとしんどいし、トラブルも増える・・・

後者については、僕たちっていろんなことを「アタマ」で理解しようとしすぎな感じがします。
もっと嫌らしく言うと、「アタマで考えて理解・支配した気になっている」でしょうか。「理解する」「腹落ちする」「自分のものにする」「自分でコントロールができる」って全部別の話ですもんね。何をどの段階まで持っていくかを考えているだけで一生終わってしまいそうなくらい複雑です。
個人的なトライアルとして、いまいちど「自分の身体的な感覚の範囲内で理解できるものを見つめ直してみる」ことをやってみようかな・・・

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