「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。」感想文:事実と現実

noteで書いて、cakesで読んで、お世話になりっぱなしです。

こちらの幡野さんの連載、どの記事もどこか自分にもあてはまるような気がして、毎回読んでいてすごくハッとさせられます。
特に今回の相談者さんの、勝ち負けの尺度でしか物事を見れない、という言葉は、まるで自分の言葉のように感じてしまいました。

相談者さんの悩み、幡野さんの回答は引っ張って切り貼りするべきものではないと思いますので、リンクからぜひご覧ください。


さて、回答の中で、幡野さんは現実と事実の違いを述べられていました。

事実は単純に起きたこと。現実はたくさんの事実により生まれた、それぞれの人にしか見えないもの。だから人と比べることに意味はないんだと。

自分にはなかった物事の捉え方で、ストンと腑に落ちました。しかし一方で、なるほどな、でもそうは言っても比べちゃうんだよな。。。という思いも幾ばくかあったりもします。

やっぱり自分の現実の中で優れているなと感じる人はうらやましくなってしまうし、できることなら追いつきたいという思いも生じてしまいます。
あ、でも確かにその人は、その人だけの見え方でもっと優れている人が見えているかもしれないし、なにか悩みを持っていたりするかも…。
…少し考えがほぐれてきたような。

また、自分にしか見えないものがあるのであれば、それはとても貴重なものだとは思います。そして、それを大切にできるのも自分だけです。
自分の見ているものが自分の中にしかないもので、他と比べて優劣のあるものではないと認識することが第一歩のような気がします。
自分自身の現実をきちんと見てあげられように。そういった気持ちは巡り巡って自分自身を大切に、大事にできることにつながるのかもしれません。

幡野さんは、勝ち負けの世界で生きるなら、負けることを許容する人になったほうがいいと続けます。
ここには、負けることを許容できるようになる以上に、そもそも勝負のステージに上がらない、という選択ができたほうがいいという幡野さんの思いを感じます。
少なくとも、自分より「事実」の一側面で弱い人に、横から殴り掛からない。
そして、自分の現実と同じように相手の現実にも思いをはせることが、優しい強さにつながるのだと思いました。

相談者さんも自分自身も、もっとそれぞれの現実を大切にできるように、少し世界の見方が変わればいいな。

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