見出し画像

「女」を語って思わずクスッ 〜辞書コラム

女とは、いったいどんなものだと説明できるだろう。
魔性だとか女神だとか、小うるさいだのたくましいだの形容することばは数あれど。

辞書で引いてみると、これがなんとも素っ気ない。

<「女」の語釈>

人間のうち、雌としての性器官・性機能を持つ方。〔広義では、動物の雌をも指す〕

(新明解国語辞典/第八版)


確かにそうではあるけれど、もっと味わい深さはないものか。まあ、それを辞書に求めるのは間違いかもしれないが。

いや、ところがそうでもないらしい。
「女」の説明に7ページもの分量を割いてる辞書がある。

「類語ニュアンス辞典」だ。


この辞書、そもそも辞書らしくない。
ページを開けば小説かエッセイのような誌面だし、それでもちゃんとことばの説明はしてくれている。

大体、7ページも割いて何を説明しているのだろう。

タイトル通り、「女」の類語を集めてそのニュアンスの違いが語られているのだけれど……。
読み物なのか辞書なのか、判別つかないところもまた魅力。

言葉はムードも帯びている。情感も大事に語る辞書があるならば、放置なんかしておけない。

今回は、一風変わった「類語ニュアンス辞典」から、「女」を探る旅に出かけてみよう。



▼辞書著者は、知的な笑いを誘いたい??



↑この写真でもおわかりのように、類語ニュアンス辞典はどこから見ても普通の辞書だ。
でもページをめくると、

類語ニュアンス辞典
「女」欄 本文


こんなふうに普通の読み物。辞書ということを忘れそう。
写真はちょうど「女」の見出しから始まる本文だが、これが7ページ続いていく。

本文に話に入る前に、まずは辞書のアッパレな序文を見ていただきたい。
辞書への編集著述意欲が真摯なだけに、その偏愛ぶりがハンパないのだ。
ちょっと引用してみよう。

(ことばの抽出については)
各分野から特に説明を要する玄妙な語群に絞り、それぞれを個人的な感性で大胆に掘り下げ文学作品からの実例も引きつつ、読者の関心をゆさぶり奥深く語りかけたい

この本は、引く辞典ではなく、あくまで読む辞典を心がけた。
  (中略)
いずれにせよ、稚気まるだしの自由奔放な語りが、読者の感性にふれて、とりとめのない学術エッセイとして知的な笑いを誘うのが、著者のひそやかな野望である。

類語ニュアンス辞典 序文より抜粋まとめ


なんてお茶目な序文だろうか!
著者で編者の中村明先生は、この辞書で笑いをとりたいとおっしゃっている。学術エッセイとしての知的な笑いではあるけれど。

序文、惹きつけられるなあ。
稚気まるだしなのか。
私(読者)の関心をゆさぶり、奥深く語りかけられるのか。

受けて立とうではないの。
愉しませてもらおうではないの。



▼辞書のエッセイ本文、ウルウルな読み心地


7ページもの分量をとった「女」の解説本文では、「女」とその類語の「女性」「女子」「婦人」についてそれぞれの特徴が語られている。
書き出しの雰囲気をご紹介しよう。

女──女性・女子・婦人

 「若い女」「女の一人旅」「女の自立」などと使われる「女」という日常の基本的な和語は、性別のうち男でないほうをさす。永井荷風の小説『墨東忌憚ぼくとうきたん』に、「檀那だんなそこまで入れてってよ」と「傘の下に真白な首を突っ込んだ女」という例がある。川端康成は『雪国』で、「雪に浮かぶ女の髪もあざやかな紫光りの黒を強めた」と、夜が明けかける光の微妙な変化を、鏡の映像で印象的に描いた。

類語ニュアンス辞典「女」項より冒頭部分抜粋


こんな感じで始まる「女」の解説が2ページほど続き、次に類語の「女性」の解説1ページ分へと繋がっていく。

その次に語られる類語「女子」「婦人」の解説本文から、少し抜粋してみよう。


 「女子校」「女子マラソン」などの「女子」という語は、主に女児や若い女をさし、学校生活やスポーツの世界など集団で使われてきた日常の漢語である。サトウハチローの長篇随筆『僕の東京地図』に「何故なぜ女子大学の中を通行するのがそんなに嬉しかッたか、いまでもわからない」とあるように、通常の学生の年齢、せいぜい二十代あたりまでが「女子」のイメージだったような気がする。

    〜中略〜

ここの「女子大学」という名称も、へたに「女性大学」と変更したりすると学問の雰囲気が薄れ、社会人教育どころか、キャバレーの店名かと誤解を招きかねない。「女子美」という大学の略称も、もしも「女性美」だったら、誰も大学とは思わないだろう。

    〜中略〜

 ところが、近年、どうも「女子」の年齢幅が広がったらしく、会社のかつての女性社員も女性事務員も、今や女子社員、女子事務員に若返ったようだ。「女子会」なるものに後期高齢者もためらわず参加するようだから、ほとんど年齢制限がなくなったかに見える。あるいは、いつまでも若く、女子でありたい人びとの集いなのだろうか。

    〜中略〜

 「貴婦人」「婦人参政権」「婦人服」「妙齢の婦人」などとして使われる「婦人」ということばは、大人の女、特に既婚女性をさす、やや改まった感じの漢語である。

    〜中略〜

井伏鱒二の小説『文章其他』は「自分が破産したと自覚した日の夜から、急に青春時代のように性欲が盛んになってしまった」という「すでに五十歳の婦人」の滑稽で悲痛な告白で始まる。

類語ニュアンス辞典「女」項より抜粋


やや乱暴な引用抜粋になってしまったが、「女」の類語がニュアンスの違いで語られる雰囲気が伝わっただだろうか。

またこの辞書は、文学からの実例引用が多いのも特徴。
「女」は

・永井荷風『墨東忌憚』
・川端康成『雪国』
・安岡章太郎『朝の散歩』
・杉田久女『張りとほす女の意地や藍ゆかた』(俳句)
・茨木のり子『汲む』
・高田保『ブラリひょうたん』(コラム)
・サトウハチロー『僕の東京地図』
・夏目漱石『坊っちゃん』
・井伏鱒二『文章其他』
・森まゆみ『女のきっぷ』

の10作品からの引用で解説。小説のニュアンスも一緒に伝わり、本好きにとっては「辞書を読む」大きな動機付けになる。いやあ、楽しい。

ちなみに破産を自覚した日から性欲が盛んになった五十歳婦人の記述で始まる『文章其他』は、井伏鱒二全集第一巻(筑摩書房)に収録されていることがわかった。文献が見つからずに辞書発行元の三省堂に問い合わせたところ、親切に教えていただいた。ご対応者さま、ありがとうございました。


私は以前、「“女子”と呼んでいいのは何歳まで?」という記事を上げた。
“女子呼び“化は無謀なアンチエイジングとディスっていた『雑誌に育てられた少年』(亀和田武著)を紹介しつつ、我が妙齢女子友人たちの実態を暴きながら書いた記事だ。

類語ニュアンス辞典にも、大人女性の「女子」呼びについて言及されている。偶然ながらも、著者・中村明先生の解説に呼応するような(してはいないが)記事を上げていたことが嬉しい。
(中村先生、おこがましくて申し訳ありません。平身低頭)

よろしければ拙記事でも笑っていただければと思う次第↓


さて、今回は辞書らしからぬ類語ニュアンス辞典を紹介した。
辞書はさまざまな個性を放っている。
「どれも一緒でしょ」と思われている方々に、少しでも驚いていただくのが私の野望。ささやかながらも辞書好き女のひとりとして。


次の辞書コラムは、また新明解国語辞典に戻ってディープでカオスな語釈や、編者の個人的思い入れ炸裂の用例などをご紹介したい。


辞書コラム投稿の合間には、
他の話題の記事も挟み込みながら
noteを続ける所存でございます。



●これまでの辞書コラムはこちらからどうぞ★