告別

 「ハイドンの交響曲に『告別』ってのがあってね。音楽で、それも歌詞もなく『家族のもとに帰らせろ』って訴えた曲なんだよ。」
 金曜日の夜。事務所の時計は夜の11時を指していた。ウィークデイの最後、金曜日の夕方に気づいてしまった、納品を勘違いされた仕事が一つ。先方にはなんとか電話で平謝りして納期を月曜の朝まで伸ばしてもらった。私と先輩は職場に残って製品のリストやら、説明書やら、添付する資料やらを急ピッチで作っていた。オフィスでデスクワークしているのは私たち2人だけ。来週の金曜日だと思われていた仕事は、私たちのモーレツな頑張りで90%ほど完成していた。その時に一緒に残業している先輩が言ったのだ。
 「演奏しながら叫ぶんですか?」私が訊ねた。
 「見ればなんとなくわかるよ。俺の分は終わったからお前の分をちょっと分けてくれ。」
 「ありがとうございます。」私は連絡先リストを3枚先輩に渡した。
 「もうちょっとだな。」そして二人は仕事に戻った。

 先輩と2人で頑張ったおかげで、真夜中の12時になる前に会社を出ることができた。期限の勘違いというのは恐ろしいものである。先輩とは会社から少し歩いた公園の近くでそれぞれの家の方向に分かれた。お疲れ様でした、ありがとうございました。
 家に着いて、先輩の言っていた「ハイドンがどうのこうの〜」という言葉が気になった。YouTubeで調べると、どこかの交響楽団が演奏している動画があったのでマルちゃんを食べながら見てみた。「普通の曲だな」と思っているとオーケストラが演奏している最中に奏者が一人ずつ席を離れていく。最後に残ったのはバイオリンが2人のみ。「今日の先輩と私みたいだと思った。」
 今日の残業の原因を作った営業担当者と今日の残業を命じた上司にこのYouTubeのリンクを送った。
 送った後でやらなければよかったと思った…。月曜日が怖い。

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