【書評】松平定信 政治改革に挑んだ老中
天明7年(1787年)5月に発生し、五日間にわたって将軍のお膝元である江戸を無政府状態に追い込んだ天明の打ちこわしは、江戸幕府の威信の衰えを象徴する出来事であり、「幕府の国内統治の自負と正当性を揺るがした」。
この状況下での登場となった松平定信は、危機感を持って幕府再建に立ち向かい、囲籾=社倉政策、江戸町会所設立=七分金積立などの社会政策による民衆支配の安定化、朝廷との枠組み作り、対外関係・国防の見直しなど、直面する課題果敢に挑み、後の幕府の政策にも影響を与えた江戸後期中期を代表する政治家だ。
本書は、松平定信の登場から約6年にわたる筆頭老中・将軍補佐としての政策立案・遂行、依願退職の謎までを、史料をもとに紐解いた書である。
本書の著者
藤田覚著「松平定信 政治改革に挑んだ老中」中央公論社刊
1993年7月25日発行
本書の著者の藤田覚氏は1946年、長野県に生まれる。1974年、東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。東京大学名誉教授。
本書の章構成
本書の章構成は以下のとおり。
松平定信の略伝
松平定信の登場
一、定信政権の誕生と基盤
二、定信の危機感と決意
封建的社会政策の展開
一、囲籾=社倉政策
二、江戸町会所の設立=七分金積立
三、農村への「仁政」
朝幕関係の枠組み作り
一、大政委任論の表明
ニ、御所造営問題
三、尊号事件
対外関係の枠組み作り
一、朝鮮外交の転換
ニ、ロシア使節来日と「鎖国」
三、国防体制の模索
本書のポイント
江戸時代の老中は、一定の昇進コースをへて昇りつめたそうだ。
水野忠邦の場合、奏者番、奏者番兼寺社奉行、大坂城代、京都所司代、西丸老中を経て本丸老中に昇り詰めたそうだが、こういった昇進コースを通して「幕政全般についての視野と幕政運営のテクニックを学び」、「幕府内外に人脈と金脈を形成」してゆくのだそうだ。
しかし、松平定信の場合は、当時の第十一代将軍徳川家斉の実父一橋治済の強い推薦から実現した特殊なケースだ。
それだけ、権力基盤の無い状態でのスタートとなった松平定信の政治運営方式は、決して専制的、独裁的ではなかった。「将軍補佐として、将軍の行動をも規制しうる権力と権威を背景にした合議制であった、という理解が正しいと思う」と著者は述べている。
本書の中でも、町奉行、勘定奉行に諮っては政策を練り、老中間で評議を繰り返して合意形成し、重要案件は御三家に伺いを立て賛同を得てから実行に移すなど、松平定信の政治スタイルは慎重であり、独善とは無縁の存在だった。
一方で、問題の本質や歴史的総括により問題解決に当たろうとする姿勢や現実主義的な政策判断をする人物であったことに触れている。
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