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【海外の街を歩く】ローマを歩く(その3)

ポポロ広場

ポポロ広場(Piazza del Popolo)は古代ローマの北の入口に当たる場所だそうだ。
古くから交通の要衝であり、中央にオベリスクが建てられ、南に向かって三本の道路が放射状に伸びている。
バロック期に広場に面してドームを載せた2つの教会(双子教会:サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会とサンタ・マリア・イン・モンテサント教会)が建てられた。
さらに19世紀になって、噴水の整備、建物の改築などが行われ、現在見る姿になったそうだ。
ちなみに、ポポロとはイタリア語で「市民」を意味している。

広場の中央にあるフラミニオ・オベリスクは、古代ローマ時代の紀元前10年にローマの初代皇帝アウグストゥスによりエジプトのヘリオポリスから運ばれてきたラムセス2世のオベリスクだそうだ。
当初は、キルクス・マクシムス(戦車競技場)に建てられていたが、1589年に教皇シクストゥス5世によってポポロ広場に移設されたそうだ。
高さは基盤も含めれると約36mの高さがある。

古い遺跡群とは違った時代の広場(広場中央のオベリスクは古いが・・・)。
のんびりとした雰囲気の広場をゆっくりと歩いてみて、雰囲気に浸ってみた。

ポポロ広場

サンタ・マリア・デル・ポポロ教会

サンタ・マリア・デル・ポポロ教会(Basilica di Santa Maria del Popolo)は、アウグスチノ会によって運営されているポポロ広場の北側にある教会。
この教会の建設が始まったのはローマ教皇パスカリス2世の治世の1099年頃だそうだ。
建設時期が11世紀前後となると、外壁は少し古い感じがした。

サンタ・マリア・デル・ポポロ教会

アウレリアヌス城壁

アウレリアヌス城壁(Mura aureliane)は、ローマ帝国の首都であるローマを守るために、軍人皇帝アウレリアヌスによって270年から275年の間に築かれた都市の城壁。
ローマの七丘に加えてカンプス・マルティウスやテヴェレ川の右岸であるトラステヴェレ地区など13.7㎢を取り囲む全周約19kmの城壁だそうだ。

一時間程かけて城壁の北側沿いのほんの一部を歩いてみた。

ローマ市街の眺め

モンテチトーリオ宮殿

モンテチトーリオ宮殿(Palazzo Montecitorio)は、17世紀初頭にローマ教皇イノケンティウス10世が建築家ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini)に依頼して設計し、80年以上を経た1694年にイノケンティウス12世の意向で、建築家カルロ・フォンターナ(Carlo Fontana)が完成させてた宮殿。
最初は教皇裁判所として使用していたが、1870年にイタリア統一を機に下院議事堂として使用されるようになり、現代に至っている。

イタリアの政治の中心地の一つの建物。
広場から雰囲気を眺めていた。

モンテチーリオ宮殿の外観


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