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青史探究

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街道と関連する都市にまつわるコラムを集めました。週二回の掲載を予定しています。
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#神奈川湊

#21 なぜ保土ヶ谷宿は宿場移転したのか?

 歌川広重の東海道五十三次の浮世絵「保土ヶ谷 新町橋」では、帷子(かたびら)川に架かる帷子橋(新町橋)が描かれている。  新町橋を渡ると、保土ヶ谷宿が始まる。 袖ヶ浦と帷子河岸  江戸時代始めまでは、袖ヶ浦と呼ばれた入江が現在の横浜市保土ケ谷区東端部まで湾入しており、東海道沿いの海岸の中でも最も美しい風景の一つとされていた。  天王町のあたりが帷子川の河口で「帷子町河岸」と呼ばれた荷揚げ場へと帆掛け船が出入りする風景があったという。  帷子河岸では、帷子川流域から集められ

#20 袖ケ浦と神奈川宿

 海沿いの街道に軒を並べる茶屋や料理屋。  袖ヶ浦の海には帆船が何艘も漂い、舟運が盛んな様子が描かれている。歌川広重の東海道五拾三次の浮世絵「神奈川 台ノ景」では、台町から眺める袖ケ浦の景観と湊町の側面を併せ持つ神奈川宿が巧みに描かれている。 神奈川湊  神奈川湊は中世から東京湾内海交通の拠点の一つとされ、鎌倉幕府が置かれた13世紀以降、湾内の物流が活発になると共に神奈川湊も発展したとされている。  神奈川湊が記録に現れるのは、鎌倉に幕府が置かれた13世紀以降のことだ。