#35 清見関と興津宿
清見潟
静岡市清水区の興津から袖師にかけては、穏やかな波が海岸線の岩礁を洗う清見潟と呼ばれる景勝地があった。
かなたに見える三保松原と日本平が織りなす景観は、『万葉集』以降多くの歌人に歌われ、愛された場所だ。
飛鳥時代末期から奈良時代初期にかけての貴族で歌人の田口益人(たぐちのますひと)は上野国への赴任の途中、浄見埼で、
「廬原(いほはら)の浄見の崎の三保の浦の寛(ゆた)けき見つつもの思ひもなし」
「昼見れど 飽かぬ田子の浦 おほきみの 命かしこみ 夜見つるかも」
という