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青史探究

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街道と関連する都市にまつわるコラムを集めました。週二回の掲載を予定しています。
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#刑場

#18 なぜ街道沿いに刑場が置かれたのか?

見せしめの場  江戸時代、江戸周辺には南に東海道沿いの鈴ヶ森刑場(東京都品川区南大井)、北に奥州街道・日光街道沿いの小塚原刑場(東京都荒川区南千住2丁目)、西に甲州街道沿いの大和田刑場(八王子市大和田町大和田橋南詰付近)があり、三大刑場といわれた。  幕末には、中山道沿いに一時的に板橋刑場(北区滝野川のJR板橋駅北付近)が置かれ近藤勇などが処刑されたが、板橋刑場は新政府軍がたまたま処刑に使った場所で、正式な刑場ではなかったようだ。  江戸時代の刑場は、江戸に入る人たち、特

#12 なぜ西の起点を高麗橋まで伸ばしたのか?(その4)

江戸幕府の大坂統治の意味  松平忠明の4年に渡る大坂町場の復興を経て、1619年(元和5年)、幕府は大坂を直轄地とし、大坂城代と東西の大坂町奉行所を設置している。  大坂を直轄地とした目的は、  ①西国諸大名の監視と軍事拠点化  ②国内最大の商業都市支配 ということだろう。  大坂の陣が終わり、豊臣はが終焉を迎えたとはいえ、薩摩、長州、土佐、肥前など西国に置いた外様大名に対する警戒は必要であることから大坂から監視を行うとともに、西国有事に備えた幕府の軍事拠点として大坂城を活