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青史探究

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街道と関連する都市にまつわるコラムを集めました。週二回の掲載を予定しています。
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2023年6月の記事一覧

【道と歴史】元佐倉道と逆井の渡し

千葉市民になって16年余りになるが、千葉については知らないことだらけだ。 最近も元佐倉道と呼ばれる街道の存在を知った。 元佐倉道は、隅田川(昔で言えば大川)に架かる両国橋付近から堅川の北岸に沿って東に進み、中川を「逆井の渡し」で越え、小松川から一直線に小岩市川の関所に通じる道のことだそうだ。 旧千葉街道とも呼ばれているらしい。 整備時期はいつか? 元佐倉道は将軍の通行のため整備された道だったが、将軍の通行が少なくなり江戸時代を通じて通行が制限された街道だったといった情報も

#33 富士川と蒲原宿

富士川の渡しと間宿岩淵 南アルプスや八ヶ岳などの信濃国と甲斐国の山々から駿河国を通り駿河湾に流れ出る富士川は、水と共に大量の土砂を下流へ運び、河口部の流域では川底が浅くなって川幅が広がり、古くから急流の大河として知られていたそうだ。 富士川右岸に位置する岩淵には富士川渡河の渡船場があり、東海道の街道筋には名物の「栗ノ粉餅」を売る茶店が建ち並んでいたそうだ。 富士川を渡河する東海道には江戸時代を通して橋は架けられず、渡船により旅人を往来させていた。 江戸末期の1845年(弘

【歴史小話】和菓子と6月16日

6月16日は和菓子の日だそうだ。 この和菓子の日は語呂合わせではなく、江戸時代の風習「嘉祥」もしくは「嘉定」から来ている。 「嘉祥」は、陰暦6月16日に疫病を防ぐために16個の餅や菓子を神前に供えてから食べた風習だそうだ。 陰暦だから、新暦でいうと今年は8月2日、夏真っ盛りの時期の行事だ。 江戸城の嘉祥(嘉定) 江戸幕府の嘉祥(嘉定)では、陰暦6月16日に大名・旗本が総登城して将軍から菓子を頂戴した。 杉の葉を敷いた片木盆1,612膳にのせられた総数20,324個の和菓子

#32 富士山南麓と吉原宿

富士山南麓の地形と河川 富士山の南に位置する旧東海道の蒲原宿から原宿に掛けての地域は、富士山から流れる河川で出来た沖積平野の地だった。原宿の北に位置する浮島沼は、「諸河川の堆積作用によって次第に泥炭化してゆくが、なおラグーンや沼沢地をとどめ」、「浮島ヶ原」と呼ばれる低湿地帯だ。 この辺りの地名も沼津、吉原=葦原、蒲原=蒲の原など、湿地帯を表す名称が続いている。 富士川の流れは太古は大きく東に蛇行して現在の田子の浦漁港付近は、往時、富士川の本流が流れ込む河口だったそうだが、

【歴史小話】江戸の外食産業と蕎麦切屋

江戸の商家数 嘉永4年(1851年)の問屋再興令以降の諸問屋及び商工組合の連名簿である「諸問屋名前帳」に記載された総店舗数13,778軒あるという。 その中で、57万町人の日常生活を支えた「舂米屋」=「町の米屋」は21.2%の2,919軒に上り、「炭薪仲買」=「町の燃料屋」は26.9%の3,702軒に上る。 この、「舂米屋」と「炭薪仲買」で株仲間・諸組合に加盟する江戸の商家の58.1%を誇るとともに、江戸の町全体に店舗を行き渡らせ、57万町人の日常生活を支えるためのネットワ