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Flisbäck & Bengtsson (2024) 「後期近代世界のための実存の社会学」

Flisbäck, M., & M. Bengtsson, 2024, “A sociology of existence for a late modern world: Basic assumptions and conceptual tools,” Journal for the Theory of Social Behaviour, 54(2), 229-246. https://doi.org/10.1111/jtsb.12416


この論文は「実存の社会学(sociology of existence)」という理論的枠組みの提出を試みた研究である。「実存の社会学」に該当する既存の試みとしては、1970〜80年代のアメリカにおける「実存主義社会学」、近年Patrick Baertらが提唱している「実存理論(existence theory)」、ギデンズやイルーズらの後期近代論があるが(p. 230)、本論文は社会学の理論的枠組みとしての「実存の社会学」を新たに築こうとしている。

 「実存」という言葉に著者たちが込めている意味は、人間の生の有限性、不確実性、予測不可能性である(pp. 231-2)。ハイデガーおよび特にアーレントの『人間の条件』を参照しつつ、著者たちは「実存的意味形成とは、つねに不確実であるなかで生に意味を与え方向づけを生み出すことである」(p. 232)と述べる。
しかし著者たちは、こうした実存主義的な見解に社会学的な視点を付け加えねばならないと考える。つまりそれは、「社会における権力と資源の不平等な分配」によって、「ある集団がほかの集団に比べてより大きな実存的不確実性のもとで生きねばならない」(p. 233)ということを分析しうる視点である。著者たちはここでドロシー・スミスの"Women’s perspective as a radical critique of sociology”やブルデューの『男性支配』などを参照している。

論文の後半では、実存という主題を後期近代に特徴的な問題として論じている。ギデンズ『モダニティと自己アイデンティティ』、エヴァ・イルーズ『なぜ愛に傷つくのか』『愛の終焉』、ハルトムート・ローザ『加速』『共鳴』『意のままにならないこと』などを手がかりとして、生の不確実性・予測不可能性と実存の問題を検討している。著者たちは、人間の実存的問いが実存の社会学の枠組みで論じられない限り、後期近代という時代を社会学的に理解することはできない、と考えている(p. 238)。

第5節ではPatrick Baertらの"Existence theory: Outline for a theory of social behaviour" と社会心理学者クルト・レヴィン(Kurt Lewin)の理論を参照しつつ、個人の生の時間的過程に注目している。

(コメント)
関心のある方は元の論文を読んでいただければと思うが、本論文において著者たちは「実存的嘔吐」「実存命法」「信頼資本」など、独自の概念をいくつか提出している。
理論的にはまだいろいろと深める余地があるだろうが、経験的研究との接続も意識されており興味深い視点が提示されていると思う。


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