見出し画像

多様性の受け入れ方

多様性の時代だからと言われ、いろんな価値観を受け入れていこうよ、と情報メディアが発信していますし、その風潮を肌で感じることができる昨今になりました。

先日、アベプラの平石アナがYouTube番組に出演されていた時に話していたことが印象に残っています。

人を説得することとか、言いくるめることって必ずしも善ではない。誰かが「勝ったみたいな」雰囲気で終わるのって、良さそうであんまり良くない。

自分だけの意見が通ったとしても気が付いたら周りに人がいないみたいなことがありうる。
どこかで共感ポイントを探しチームとして成し遂げていく。

意見を変えてくださいではなく、相手の意見も聞いてみて寄り添えるポイントがあるのか。

多様性とは、男性性に代表する権威みたいな概念は淘汰されたように感じます。

戦後の教育で植え付けられた「正」が自分にフィットするものなのか。
あなたは何者ですか?と言われた時に大抵の日本人は即答できないし、自己肯定感が低くく遠慮がちという姿勢がマジョリティかと思います。

子供時代に親や周りの大人にジャッジを受けて育ってきていると大人になっても否定されたことに対してブレーキがかかります。意識の深いところでブレーキをかけます。

マジョリティであること、コンフォートゾーンから抜けないことが正解とされた概念で育ってきたのに、今になって多様性やら、自己肯定感が低いと指摘されたとて、「あ、そうですか」と臨機応変にマインドを転換することは難しいのが現状です。

海外の教育では子供のアイデンティティを育てるために、意見を聞くと聞きました。
「あなたの意見を教えて」
自分なりの意見を子供の頃からアウトプットしていると、自己肯定感が高くなり、自分という信頼できる個性を持って自ら人生を切り開いていくのでしょうか。
自分の人生に自分で責任を持つことができれば、誰かを羨むこともなく道なき道を開拓できるのかもしれません。

日本といえば災害はあるものの、食は世界一美味しいと言っても過言ではありません。
それは、周囲が海に囲まれていて水が豊かで不自由なく使うことができる。これは世界をみても貴重なことです。

巧みな技を織りなす職人がいます。私は青森県出身ですから、ねぶたをみて芸術を学んだし、感性を育むことができました。伝統文化を肌で感じて育ちました。

ある意味、伝統文化がここまで継承されるのって、日本人のマインドが「これは大事」と直感で感じる感性があるからこそ継承されてきたように思うんです。

これからの時代は2つのベクトルを持つことで、バランスがとれると持論ですが思います。

日本人独自のマインドがあるから続いた文化。移民政策をとってこなくて、少子高齢化で課題は山積みだが、だからこそ継承できたものもある。

一方で多様性を自分のマインドが受け入れる時、視座を上げることが大事かなと思っています。40代以降の人が本当の意味で多様を受け入れることは人によっては非常にハードルが高いことかもしれません。

しかし、万物は流転します。

自分の信念や軸の根を張りつつも、地上に育った経験という幹や葉は根が深ければ深いほど、しなやかに風にそよぐことができ、成長はむしろ止めることができません。

軸は固着すると頑固になってしまって柔軟性を欠いてしまいますが、自分の軸を曲げない代わりに理屈とファクトで伝える努力をすることはできると思います。

今できなくとも、努力する姿勢があれば、必ず柔軟に事を受け入れることが出来ると思っています。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?