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「ダサいマグカップ」

*2017/12/14に書いたものです。
*オザケン的男子をイメージ。



僕は怒った。

同居を始めた彼女が、僕の荷物にあったダサいマグカップの数々を、「揃ってないから」という理由で、勝手に写真をとって、メルカリやらのフリマソフトで10個100円で売ろうとしていたことがわかったのだ。

そして、悪いことに応募があってOKを出して、後1時間後に取りに来るらしい。

同居を決めた時、彼女からは「理想の部屋」のイメージ写真をたくさん見せられていたし、僕は仕事もできて色んなことをそつなくこなすかっこいい彼女に、生活にまつわる主導権を譲ることに決めていたが、ただ自分のマグカップ・コレクションが断捨離の対象になるなんて、思いもしなかったので動揺していた。

「あたし話したよ、コップはこれに統一したいって。任せるっていったじゃない、なんで怒るかわからない。」

う。確かに。そうかもしれない。

「デカイし、バラバラだし、ダサいから飾れないし、存在理由がわからない。第一、使ってないでしょ?というか、私の部屋のイメージの話、本気で聞いてたの?聞いてたらわかるよね?」

う。確かにそうだ。そうか、そうだった。統一したい、とは聞いていた。
ただ、統一したいから他を排除する、とまではつながらなかった。

確かに、話を聞いてなかったのは僕かもしれない。

サスペスンスドラマの脚本のどんでん返し部分が安直だからもっと捻ってくれと言われ、捻りに捻ったら、なんだかまっすぐになってしまって、どうしよう〜とパニック状態で、引越しの時、話は半分ぐらいしか真剣にきいていなかった。

ただ、僕にも言い分がある。僕が持ってきた荷物といったら少量の服と、この「マグカップたち」ぐらいなのだ。

引越しの際段ボールを開けた瞬間の「何これ?」という声と「このマグカップ、必要?」と大きな声で聞かれて、「置いといて」とだけ言ったのは覚えてる。

「何がそんなに大切なの?話してよ。」

僕は、一つ一つのマグカップについて話した。

赤い電話機のイラストと、受話器がマグカップの取っ手になっているカラフルな色使いのアメリカンなダサさが溢れているマグカップは、小6の時、転校した親友からもらったもの。

教会らしき建物がプリントされたマグカップは、お土産屋さんに並んでいたら買わないリスト上位3位に入りそうな破滅的なダサさだけど、台湾に短期留学した時、北京語と日本語を教えあって苦楽を共にした留学先の仲間から大学の自慢の建物だ、といってもらったもの。

クマのプーさんのマグカップは、短期でアルバイトしていた保育園で問題児だった女の子が僕の誕生日にくれたもの。ワガママ娘と思ってた子が、誕生日を覚えてプレゼントを選んでくれたって、それだけで嬉しかったのを今も覚えてる。

一つ一つのダサいマグカップの思い出を話していたら、急に彼女が後ろから抱きしめてきて、服を脱がし始めて、僕は驚いた。

「誰か、来るんじゃないの」

「そうだったね、なんかどうでもよくなった。」

「マグカップはどうするの。」

彼女は自分のシャツを脱ぎ始め、僕はもう下半身が露わになっている。

こうと決めたら行動が早い。僕はいつもついていくのに精一杯だ。

「写真に残す、じゃダメ?」

そうか、その手があったか。

僕は、振り返って彼女にキスをした。

さようなら、不揃いの僕のマグカップたち。

二人が裸になったところで

ピンポーンとドアベルがなった。


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