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口承の物語 (からだと声の朗読劇)

2月の「からだと声の朗読劇」のテーマは口伝えでした。(この日のことを講師の岩橋由梨さんがnoteを書いています。こちらからご覧いただけます。)

ワークショップの中で、参加者同士で実際に口伝えをする体験をしました。まず、自分が家族や地域の人から口伝えで聞いたちょっとしたお話を思い出して、ペアになった参加者に話します。

わたしが話したお話は、こんな話でした。

「70代後半の女性から聞いた話です。戦後すぐの頃はみんなが貧しくて、どの家庭も庭で野菜を育てていたそうです。畑の周りにはお茶の木が植えてあって、その葉っぱを摘んで、家でお茶を作って飲んでいたそうです。鶏のヒナを育てるのは子供たちの仕事で、家の中の一角の囲いの中にヒナが沢山いて、毎日毎日子供達が餌をやっていたそうです。父親は、朝産みたての卵をコップに割って入れて生のまま飲んだりしていたそうです。そして時折、庭で鶏を捌いて、肉を食べたそうです。この話を私が聞いたとき、思わず『いいな〜。そんな生活したかったな。』と言ったら、その人は『えっ?そう?』と意外そうな顔をしていました。当時の子供達にとっては新鮮味のあることではなく、面倒だなぁと思いながらしぶしぶやっていたようです。でもやっぱり、わたしは、子供時代にこんな豊かな経験ができていいなぁと思わずにはいられませんでした。」

この話をペアの人に語ってみて思ったのは、私に語ってくれた人の経験に、随分と私の色をつけてしまったなぁ、ということでした。語ってくれた人自身の経験をそのまま伝えたのではなく、その話を聞いて感じたわたし自身の気持ちや、わたし自身の価値観が、結構しっかり入ってしまった。

”わたし自身の価値観”には、現代の社会背景も影響を与えています。なんでもお金で買って生活する消費社会にどっぷりと浸かっているからこそ、なんでも手作りして暮らしていた生活に豊かさを感じる。お金がないと生きていけない非力さと不安を感じているからこそ、お金がなくても生きていける知恵と技術を持っている人に、力強さを感じる。その感動が、どうしても語りの中に滲み出てしまう。

こうやって、口伝えでは、語り手自身の生きてきた経験や、置かれている社会状況が、意識的にも無意識的にも影響を与えていくということを実感したのでした。同時に、長い年月をかけて後世に伝えられていった口承民話は、数えきれない語り手たちによって少しずつ修正され、煮詰められ、創作されていっただろうなと、少しですが想像できたような気がしました。

口伝えのワークの次に、「鬼の岩屋」というアイヌの口承民話の朗読もしました。アイヌの人々の間で長い間口伝えで伝えられてきてたお話を聞き書きして、書籍になって残っているお話です。

口伝えで伝えられてきた物語が書き起こされて文章になると、誰が朗読しても、一字一句同じ文章になります。生き物のように変化し続けてきた口承民話が、瞬間冷凍されたような状態、と言ってもいいかもしれません。

それを実際に声に出して読んでみると、その迫力と、得も言われぬ説得力にちょっと圧倒されます。長い年月をかけて無数の人々が紡いできた物語には、理由がよくわからないまま引き込まれる魅力があり、深いところから立ちのぼってくるなにかが宿っているのを感じます。

生き物のように変化しゆく口承民話が文章になって瞬間冷凍されても、それによって「死んでしまう」というわけではなさそうです。むしろ、声に出して読むことを通して、今ここで静かに命を吹きかえし、その世界につながる細い扉が開くのかもしれません。

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