たかこ先生のレッスン徒然日記vol.17
町田市でピアノを教えています田中貴子です。
いつも『たかこ先生のレッスン徒然日記』をお読みくださってありがとうございます。
久々に幼き頃の話に戻りたいと思います。
長野県松本でのびのびと育った たかこ先生ですが、小学校上がる頃から体力的にひ弱になっていました。
水疱瘡、おたふく風邪、はしかなど立て続けにかかってしまったことも影響していたように思います。
特に水疱瘡はひどく、大変だったことを今でも覚えています。
一週間ちゃんと通いきれないほどひ弱になったたかこ先生にある日「転校」という転機が訪れます。
引越先は大阪でした。
1月というなんとも中途半端な時期での転校。
驚いたのは教科書が全く違う!
その後、親の転勤で何度か転校しますが、地方ごとに使ってる教科書が違うことを初めて知りました。
新しい教科書に慣れる前に二年生になってしまいましたが、まだ小学一年生、なんとかなりました。
それより驚いたこと。
「言葉」の壁。
大阪弁(の速さ)についていけない(^^;)
イントネーションも違う。
話すのになかなか勇気がいりました。
関西方面の友人達と話してると今でもなんちゃって「関西弁」ぽくなります。
ちゃんとしたのには聞こえないらしいです(笑)
ピアノに関しては、すぐにとても良い先生に出会いました。
電車で一駅。自転車でも通えるところでした。(それでも約30分近くかかっていた)
関東ではピアノは
ピ ア ノ
と比較的フラットに発音するのですが、
大阪での初めてのレッスンで先生から発せられた
ピ
ア
ノ
という発音になんとも言えない魅力を感じました。
「ピアノ好き?」と聞かれ、はい!と答えたたかこ先生。
じゃあ何か弾いてみて。
と言われ、「え、、、あ、、、」と戸惑ってしまいました。
と同時に気が付きました。
様々病気を繰り返してるうちに、あんなに弾いていたはずのピアノから少し遠ざかっていたのです。
先生は「今度のレッスンでは今までやっていた曲を弾いてらっしゃい。その中に素敵な曲はたくさんあるはず」
と。
有難いことに、前の先生と同じような方針、しかもさらにパワーアップしたようなタイプの先生でした。
ゆっくりと前に弾いていた曲を一から弾き始めるたかこ先生。
ピアノは順調に引き継ぎができました。
そして、学校ではなんとみんなが活発に動いてることか!!
休み時間にはみんな一斉に校庭に出て走り回る。
校舎の中も「廊下は走らない」の張り紙は、まったく目には入らないかのように、鬼ごっこ、かくれんぼ、階段を駆け上がったり、駆け降りたりを競争したり。
最初はなかなかついていけませんでしたが、気が付けば、手の皮がめくれるまで、膝が擦りむけてても気にせず走り回るようになってました。
そしてピアノ
たかこ先生は気が付いていました。
先生のレッスン室の片隅に置いてあった楽器のこと。
レッスン室にはピアノだけでなく、チェンバロが置いてあったのです。
「あの楽器の正体は?」
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