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「モナド」で世界を理解する〜ライプニッツ(1646〜1716)

パスカルより20数年ほど後に生まれたドイツの思想家であるが、彼こそはデカルトに始まる大陸合理論の正統な後継者であると言うべきである。ハノーヴァ公に認められて、宮廷顧問や外交官として活躍。1700年には、ベルリンに「アカデミー」を創設し、その初代会長を務めている。ただし、彼は終生、教授職にはつかず、当時の有名知識人との手紙のやりとり、あるいは論争によって諸著作を上梓している。

彼の関心は、単に哲学問題に限らず普遍数学、微積分学、力学、自然学等、多岐に渡っている。とはいえ、彼の関心の基礎をなすものは、彼の著作「モナドロジー」(没後、1720年刊行)であろう。

「モナド」とはそれ以上分割できないもので、「単子」と訳されている。もちろん、それ以上分割できない物質上の単位を「原子」とする考え方は、古代からあった。しかし、「原子」はあくまでも物質の単位と考えられていた。これに対して、ライプニッツは物質のみならず、「精神」にもわたる、それ以上分割できない単位を「単子(モナド)」としたのである。モナドは、物体の「統一力」であり、物体を物体たらしめている「統一原理」である。この統一原理は、「表象」と「欲求」に示され、それが力学の一般原理ともなっている。そのような「モナド」は単一のものであり、他者が入り込みうるような窓を持ってはいない。(モナドには窓がない)

つまり、ライプニッツは物質のみならず、「精神」にも及ぶそれ以上分割できない単位を単子としたのである。このように、彼にとっての単子は「精神」と「物質」の両方にまたがる原理であるから、その本質は「表象」と「力」、つまり「表象すること」と「欲求する力」であるという。これは、人間を精神と肉体に分割した上でのアナロジー的表現である。

その上で、このような様々な単子は「物質=肉体」という無意識の暗い、眠った単子から明るく判明な表出の仕方を持つ最高の「単子」=「神」に至るまでの段階的な系列をなしている。我々を取り巻く世界とは、そのような各種の単子の表出されたものに他ならない。

このように、各種の単子の表出の仕方が、予定調和的に貫徹されているのが我々の宇宙だ、というのである。それにしても、あのアウグスティヌスを引き継いだカルヴァンやパスカルに比べて、ライプニッツのこのような世界観はなんとオプティミスティックなことであろうか。

さらに、ライプニッツは考える。すべての意味ある言葉は、これまた、なんとアルファベットの結合から成り立っているのだ、と。そうするとアルファベットのそれぞれの文字の結合によって生まれた記号には、やはり意味がある。とすると、すべての「思想」もまた、アルファベットの「結合」から成り立っていることになるので、言葉を「記号化」し、その「記号」を並べて普遍的な「記号法」を見出せば、普遍的文法や普遍的数学も、また可能であろうと推測する。

「記号論理学」の学祖に


このようにして、ライプニッツは今日問題となっている「記号論理学」の学祖と位置づけられている。ライプニッツの様々な遺稿が発見されたのは20世紀に入ってからであり、したがって、ライプニッツが「記号論理学」の学祖に位置付けられたのは、20世紀に入ってからである。それにしても、パスカルのペシミズムとわずか23年後生まれのライプニッツのオプティミズムは、時代に対する見解の相違とは言え、なんと違いすぎることであろうか。

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