見出し画像

ジグムント・フロイト(1856〜1939)とフロイト学派、フランクフルト学派まで

ウィーン大学の医学部教授。医師として一人ひとりの患者の面倒を見なければならない立場にあり、精神分析をした。フロイトの人間分析は三重構造であった。「超自我」「自我」そして「エス」の3つである。

フロイトの理論は、躁うつ病の研究には有効であった。ただし、分裂病にはまったく無効であった。

フロイトに対して反発したのがユングである。ユングはスイスの精神分析医。フロイトの忠実な弟子であったが、やがて反発する。第一次大戦直前、ユングは不思議な夢を見た。この夢で「集団的無意識」を主張。これに対しフロイトが怒る。医学部教授として、フロイトはあくまでも個々人の心理の分析を求める立場であったからである。「集団的無意識」は、1930年代のナチズムの登場の分析に有効な理論となる。

フロイト学派


フロイトのリビドーをどう捉えるか。フロイト自身は、「性的欲望」を中心とする生物学的エネルギーととっていた。しかし、リビドーの解釈でさまざまな派が生まれる。

フロムの立場は、反ヒトラー主義では有効となった。「自由からの逃走」など。

ところが、フロムはアメリカに亡命してしまったあと、アメリカ社会の抑圧的状況に対応できず、メキシコに逃亡、そこで死亡。アメリカ社会に対する批判では、ほとんど有効な理論を打ち出せずに終わる。

フロムとフランクフルト学派

フロムは「自由からの逃走」を書く以前、フランクフルト学派の共通のテーマ「権威と家族」にも参加している。

フランクフルト学派はナチズムの登場の前夜、ナチズムの持つ「権威主義」の由来を「家族のあり方」に求める研究を行った。

ナチズム登場の前夜、多くのドイツ人労働者に「家族」のあり方の調査をした。

この調査の結果を見て、フランクフルト学派はナチズムの勝利は確実と見て、ひとまずスイス、アメリカの亡命を決意する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?