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第一世界大戦以降の「西欧」思想の変貌

第一次世界大戦は人類初の世界戦争、そして総力戦であり、それまでの19世紀的「伝統的市民社会」を徹底的に解体させた戦争だった。現代を生きる私たちからすると、第二次世界大戦の方を「大きな戦争」と捉えがちかもしれないが、人類初の総力戦という点で、第一次世界大戦の方が世界史的に大きな戦争であったと言える。

第一次世界大戦によって、19世紀的「伝統的市民社会」≒「いわゆるブルジョワ社会」が解体されたので、それに伴う思想もまた変遷せざるをえなくなる。

第一次世界大戦とは「何かが終わり」、「何かが始まろう」としている時代の始まりであった。多くの思想家、文学者がこの時代について語った。代表的文学者としては、フランスのヴァレリーを上げることができるだろう。彼は、諸学問の細分化の果てに何も見えなくなっていることを嘆いた詩文を発表していた。

第一次大戦後の「何かが終わった時代」という感覚を代弁する言葉として、このころ「危機の時代」というセリフが多く語られるようになっていた。

「危機の時代」とは

第一次大戦以降、西欧思想史上に、頻繁に姿を現すようになった思想である。例として、シュペングラーの「西欧の没落」(1918)、フッサールの「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」(1937)、オルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」(1930)があげられる。

「大衆の反逆」について、補足する必要があるだろう。「大衆の反逆」とは「堕落した大衆」が政治の前面に乗り出してくる現象である。この指摘は、当時起こりつつあったイタリアファシズム、ドイツナチズムを無批判的に取り上げたと考えることもでき、このような社会現象を克服して、真の統治を実現させるのは「伝統的西欧の良識」しかないとこの本は訴える。第二次大戦後の欧州連合(EU)を予見したとして、高く評価する人々もある。

しかし、なんといっても、この「危機の時代」を予見し、警鐘を鳴らしたのは、シュペングラーの「西欧の没落」(第一次世界大戦終了直後の1918年に発表)であっただろう。当時、この著作はまことに衝撃的であった。

ただし、シュペングラーは西洋思想の専門的研究者ではなかったので、彼の著作や主張には専門的な学者からの批判が相次ぐことになる。その代表的批判者はあのマックス・ウェーバーであっただろう。しかし、専門的学者の批判にもかかわらず、この著作は、当時、圧倒的に多くの人々によって読まれることになり、ベストセラーにもなっている。

論者たちのさまざまな立場


この「危機の時代」、あるいは「西欧の没落」を論ずる論者たちは、以下の通り、多様に分かれた。

1、その解決の手段を見出し得ないまま、「危機」と「没落」を論ずるだけの立場→フッサール

2 、だからこそファシズム、ナチズムという新しい運動は、この「危機」「没落」を克服する運動だとする立場→フッサールの弟子筋のハイデガーは、ナチス支持を訴える。

3、これに対して「西欧は没落する」。だからこそ、次の出番はアジアであり、なかんずく日本であるとし、「大東亜共栄圏」の盟主である日本の立場を、高らかに歌いあげる立場も生まれてくる。

4、「西欧の没落」は当然のことだとし、次の世界をリードするのは、新興国のアメリカとソ連であるとする立場。

第一次世界大戦直後の西欧の「危機」「没落」を語った人々は、第二次大戦をリードした「アメリカ」と「ソ連」を是認する立場に道を開いたと言うべきかもしれない。

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