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カント(4)〜崇高なる者の政治的実現の試み

この古典主義的美学、それにプラスするにカントの美学が主張する「崇高なるもの」とは、キリスト教神学によるものではなく、古典ギリシャ・ローマの理想、別言すれば、中世キリスト教的な理想を捨て、古典古代の理想、さらにまた別言すれば、中世キリスト教的信仰に代えるに、古典古代の「理性」を現実のものたらしめる思想であり、またその運動でもあった。

ところで、このような思想とその運動は、なんとあの「フランス革命」でも現実の政治運動の目標となり、その現実化が具体的に図られたのである。周知の通り、フランス革命の主役は、土地所有を求める旧隷属農民と、職を求める零細市民との合体である「ジャコバン派」によってリードされた。このジャコバン派を率いたのは、あのロベスピエールであった。1794年4月唯一の議会であった「国民公会」において、ロベスピエールの率いる公安委員会の独裁が目立つようになり、「ジャコバン派」以外の他の党派はことごとく断罪されていった。

土地を求める旧隷属農民と、職を求める零細市民の合体である、このジャコバン派は独裁(つまり、ロベスピエールの独裁)はフランス革命の理念、理想の最絶頂期であった。

この「共和暦2年」の5月、ロベスピエールの計画に基づいて、革命の理念、理想を人々に示すべく、「最高存在」=「理性の祭典」の実践を計画する。

この祭典は、ロベスピエールと画家ダビットによって練り上げられた野心的で政治的な産物であった。それは下の絵に示すように、大がかりな展示物を作り上げ、数千の人々を集めた国民的祭典であった。この祭典は、多くの人々のコーラス、それに集団ダンスまで加えた一大ページェントであり、参集した人々を熱狂させたと言われている。

この「最高存在」=「理性の祭典」で、ロベスピエールは、3色に彩られた群衆の波を分けながら、演壇に立ち、預言者のような口調で演説をした。「あらゆる存在の中の存在よ! 天地創造の日、世界があなたの全能の御手から発せられた日は、あなたが見守る中、この日より以上に素晴らしい光で輝いていたであろうか」と。

この時期は別言すれば、フランス革命の絶頂期であったとも言える。そもそも「フランス革命」を推進させるべき基本的諸階層の要求が完徹された時期であったからである。旧隷属農民が土地を手に入れ、零細市民が職を手に入れたとなると、「革命」へ熱狂はたちまち冷めていく。

あの6月8日のシャンドマルスにおける「最高存在の祭典」の後、1ヵ月半ほど経った1794年の7月27日、ロベスピエールのいわゆる恐怖政治に反感を抱いていた国民公会内の「穏健諸派」が結託し、ロベスピエールおよびジャコバン派を追放、弾圧する事件が起こる。いわゆる「テルミドールの反動」と言われるクーデターであった。翌日、ロベスピエールとその同志たちが処刑されて終わる。

この「テルミドールの反動」によって、いわゆる本格的フランス革命の時期が終わったと言っていい。あとは、4年ほどの混乱の後、ナポレオンの権力把握の時期を待つばかりの時期とあいなる。要するに、革命の時期から、ナポレオンの独裁の時期への転換である。しかし、これは歴史の皮肉と言うよりは、当然の帰結であったと言える。

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