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学ぶ機会を増やすより、学べない苦しみが増えたほうが、学ぶ人増えるのでは?

異次元の少子化対策やらリカレント教育の強化などなど、実効性や財源の問題はさておき、総論としてはポジティブといえる政策が出てくるようになったけど。

果たして現代日本において、誰もが高水準な教育を受ける機会を得られることが、生活や国力の向上にどれほど寄与するのだろうか…というのは考えちゃうところでして(悪い意味で)。


というのも、なんだか僕の周りですごいと思える人って、苦学生だったり中卒だったり、そういう過去を持ってる人が多い気がするんだよね。

学びたいという強い意志があったから、経済的に苦しくても働きながら学校に通う。そこまでするんだから、しっかり学ぶ。

もしくは、若い時になんらかの理由で学ぶことができず、社会に出て初めて勉強の大切さを痛感して、そこから真剣に学ぶようになる。

一方の僕はといえば、学生〜会社員時代はのほほんと過ごしてたけど、フリーランスになってからは多少の危機感を持つことはあった。

彼らほどではないにせよ、少しは学んだからこうして生きながらえてるんだと思う。

キッカケはどうあれ、この「学びたいという主体的な意志」なくして、どんだけ教育の機会を与えてもムダだと思うのです。


もちろん、古くは上流階級の特権だった教育が庶民にも普及したことで、治安から産業面まで素晴らしい効果をもたらした歴史はある程度は知ってる。

でも、そのレベルの「教育を受ける権利」はとっくに行き渡っているわけで。

問題なのは、義務教育の中でも落ちこぼれちゃう子だったり、経済的理由から高等教育を受けられないことなんだと思う。

では果たして、こういう子達が高等教育をしっかり受けられるようになったとき、本当にポジティブな効果が得られるのかというと…僕はかなり懐疑的。


現状でも高校進学率は約95%で、半数以上は大学進学もしてるわけで、これが仮に100%になったところで、何かが大きく変わるとも思えない。

なんというか、就職する若者がほぼ半数ずつ「大卒」「高卒」に分かれているから仕事の選択肢や給与の格差が生まれるだけで、仮に全員が大卒になったとしたら、今度は大学の格とか試験結果とか、別の測定基準で分けられるだけな気がする。

僕を含め、大卒のポンコツが社会にあふれているのは今に始まったことじゃないわけで…。

小→中→高と徐々にルールが緩くなって、大学でついに自由を手にしてサークルやバイトに明け暮れる…それはそれで人生経験のひとつとして得るものはあるかもしれないけど、なにも最高学府でやらんでいいだろとw

おまけに、大学院をただの就活延期ルートとして使うだけの人もいる始末で、その証拠に院卒だからといってさほど就職に有利に働かなくなった。

結局、新社会人が全員このレベルの大卒になっても、まったく意味がない。

普通に大学を出て、普通の会社に就職して、普通に働いてるだけだと、「今の普通の高齢者」みたいな安定は得られませんよという時代になっちゃったんだから。

本当に必要なのは大学に進学できることよりも、「学びたい」と感じさせるための動機、目的を持つこと。

勉強はそのための手段であって、その手段を提供する場が学校。


まぁ、この「人生の目的」みたいなのを持てというのは難しい…。

しかも、それが10代が学ぶ動機になるほどの目的なんて、僕だって持ったことがないw

でも、元・苦学生や中卒の友達にはそれがあったわけ。これがキモ。

おそらく、「ある程度満たされた生活」の中にいたら、そんなの出てこないんだよきっと。

目指す理想と自分の現状に大きなギャップがあって、このままじゃとても実現できないとか、充分な勉強をせずに社会に出たらエライ目に遭ったとか、そういうことを痛感してないと生まれなそう。

漠然と「大金持ちになりたい」とは誰もが思うだろうけど、そのためにめちゃくちゃ努力する人はごく少数で、学校では落第しない程度に勉強し、会社ではクビにならない程度に働くだけ。

それじゃ大金持ちにはなれないし、それなりにガマンすることもあるだろうけど、それでも自分の中で許容できる生活はできちゃう。

そう考えると、仮に大学を含めての教育無償化が実現したところで、ますます「学ぶ動機」が生まれる機会が少なくなるのでは…と考えちゃう。


もちろん、だからといって「教育無償化はムダ!」とは思わないし、ぜひ推進していただきたいと思う。でも、これだけじゃなんの解決にもならないというだけ。

なら、どうしろと…?

子供が本気で学びたいと思える面白いことを見せつけるか、学ばないとマズいという危機感を植え付けるか…これをリアルに、本気で思わせること。

この部分こそ「異次元の〜」の出番ですよ!!

それこそ、小学生にはSwitch与えて「スプラトゥーンはどうして楽しいと思う?」みたいなアプローチから、ゲーム性・デザイン・ストーリーの大切さを説き…。

その裏側には数学・アート・人文学etcがあって、その基本を紐解いていくと国語・算数・理科・社会、図工に体育…になるじゃん!とか?

やっぱ、いきなり夏目漱石出てきても面白くない(僕は今でも面白くない)けど、いろんなゲームやアニメに触れた後のギリシャ神話はちょっと楽しかったりするわけで、こういう順番が必要なのかなと。

プログラミング教育だってそうで、Hello Worldにはなんの面白みもないけど、スプラトゥーンを噛み砕いていけば、条件分岐とループ処理の重要性も見えてくるというもの。なんなら数学・物理・英語も。


小学生には面白さから興味を植え付けたら、中学生には危機感で恐怖を煽る。

僕の周りのすごい人は、だいたい学生時代にヤフオクで小遣い稼ぎしてたから、メルカリは必修だろうな…。

「来月までの宿題:学校で渡されたブツを5000円にすること」みたいなw

もちろんメルカリに限らず、友達同士で得意分野に合わせてブツブツ交換してから売るとか、改造強化して価値を挙げたり、家族や街の人に売るもよし。

これが新入社員の特攻セールス研修だったりすると、見える範囲で同じことやってる同期も少数だったりで、恥ずかしかったり勇気がいることだと思う。

でも、学校で周りのみんなが当たり前にやってることなら、だいぶそのハードルも下がると思うんだよね。

先生にも「今できなかったら、大人になってもっとやりにくくなるぞ!」と脅していただいてw

若干、犯罪とかイジメにつながりそうな側面もあるけど、こんなことしてない今だってあるわけで、そういう割り切りも今後の日本には必要だよね。


まぁ、異次元の夢物語だとは思うけど、もし義務教育でここまでできたら、1人で社会に放り出されてもなんとかなるはず。

本来、義務教育の趣旨というのはそういうものだと思うんだけどね。

こうなれば、高校以降に進学するのは本人の自由意思になるから、存在価値も高まるというもの。

もし高等教育まで無償化するなら、進学しなかった人にはその分の学費を支給するってのも面白そう。それを財源に起業するとかもできるだろうし。

リカレント教育も同じで、趣旨としてはいいんだけど、「国や会社がやれというからやってみた」では本人の熱量が足りなくてうまくいかないでしょう。

「今の会社がダメになってもやっていけるようになる」なり、「スキルつけてとっとと辞めたい」なり、動機の美しさはどうであれ、本気で学びたい意志が不可欠。


つらつらと書いてきたけど、さほど苦労しないように育てていただいて、なんとなく普通のレールに乗ることができた僕は、まぁ本気で学びたいと思うような機会がなかったのよ。

そんな僕とも付き合ってくれるすごい友達たちの中には、大変な過去を乗り越えてきたヤツもいて、そういう話を聞くと彼らが頑張れることにも納得するわけです。

そう考えると、現在の教育制度の取りこぼしで苦しんでいる人がいる事実はあるにせよ、その苦しみが成長の原動力になる気もして、ただ一律に救うだけでは逆効果になるかもしれない…と思っちゃうんだよね。

もちろん、その苦しみの渦中にいる間は苦しいかもしれない。でも、他の選択肢を知らない若いうちだからこそ耐えられるというか、耐えるしかないものだともいえる。

その苦しみを知らない僕が言うのは無責任極まりないことかもしれないけど、その苦しみを乗り越えてすごくなった人は身近にいる。

どうせなら、「異次元の少子化対策」にはすごい人を生み出せる教育改革を盛り込んでほしいな…と思うのでした。


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