見出し画像

努力を努力と感じないことが最強だけど、それには努力が必要なんじゃないかという無限ループ

前回のnoteでは「結局は努力!頑張れないなら頑張るための練習をしよう!」などという、僕らしからぬ大変暑苦しいことを書いたわけですが、そしたらタイミングよくこんな記事を目にすることに。

こんなのと一緒にされては困るから、もう少し深ぼることにしたw

僕も努力・気合・根性みたいな言葉は嫌いでありまして、しないで済むなら努力はしたくないと思ってる。

ただ、努力できる人と努力できない人が競争したら、努力できる人が勝つのは当然だし、そこで勝てるようにしていかないと、他者と比較しない自己満足の人生すら送れなくなるであろう…というのは前回書いたとおり。

だから、頑張ることを頑張る練習をして、努力を受け入れられるように努力することにしたんだけど。

最強の存在って「努力を努力だと感じない人」なんだよね。

他人からはすごい努力してスキルを高めてるように見えるのに、本人は努力してる自覚がない。なんなら娯楽とか性癖、はたまた時間のムダ遣いとすら思ってたりする。

これを「熱中」とか「ハマる」だとか呼ぶと、また「ハマってるものなんてない」みたいな自己認識になりがちだから難しいんだけど。

呼び方はともかく、この「気付いたらやっちゃってること」に「努力だと感じない努力」が隠れてるんじゃないかなと。



そう考えると、冒頭で紹介した記事にあるような、真面目に努力することが良い人生を送る条件になるか…という発想が、いかに的外れなことかが分かる。

「真面目な努力」って、なにか明確なお題があって、それを模範解答通りに実現するために頑張る、みたいなことでしょ。

それを散々学校でやらされて、勉強が嫌いになったのは僕だけじゃないはず。

就職で解放されるチャンスが訪れるのに、多くの人が有名・安定・年収・福利厚生…とかで会社を選ぶから、学校の延長戦みたいなことになる。

そんな「真面目な努力」をひたすら続けた先の、自分や上司、周りの大人が「良い人生」を送ってるように見えるかと問われれば、そりゃNOになるでしょう。

記事になってた調査の全体像を見つけられなかったから、他の回答やその割合がどうなってるのかは分からなかったけど…。



こんなことを言いつつ、僕は「気付いたらやっちゃってること」の深掘りではなく、敢えて「ザ・努力」への耐性を高めようとしている。

それはなぜかというと、僕はそれなりに自分の「気付いたらやっちゃってること」を認識していて、サラリーマン時代から今まで、割と活かしてきたと思ってるから。

一介のミリタリーオタクが、造船会社で海上自衛隊のヘリ空母の担当者になってみたり、130年近い歴史を持つイギリスの軍事情報会社に引き抜かれたりしてるわけでw

そして、フリーランスになった後も「クルマで峠道を走るのが好き」という趣味を活かして、ブログやYouTubeの題材にしてきた。

これを支えてきたITスキルも、小学生の頃から好きでパソコン触ってたことによるもの。

ただし。

ユーチューバーが一番わかりやすいけど、どんなに扱っているテーマが好きで、パソコンが得意だったとしても、カメラに向かって喋ることや、編集作業が好きとは限らない。

この部分はどうしても乗り越えないといけなくて、歯を食いしばってやるしかない「ザ・努力」が必要になってくるわけ。

たまに、幼少期から何かにどハマりして、メキメキと成長してそのスキルだけで稼げる人もいるけど。

そういう人にしたって、学生時代は「教室の片隅に集まる陰キャ」として冷たい扱いを受けたり、「球技大会のメンバー決めで最後まで余る辱め」に耐え、流行とかまったくついていけないことを受け入れながら、好きな分野を伸ばしてきたと思うんだよね。

これだって、他人から見たら立派な努力でしょう。

つまり、努力を主目的にするとうまくいかないけど、好きなことで生きていくためには努力(自覚してないもの含む)が不可欠なのです…。



一方で、「努力の借り換え」とでもいうか、頑張らないとできない「ザ・努力」を避けるために、そこまで頑張らなくてもできる「努力と感じない努力」で置き換えることもまた、努力にあたると思っていて。

家賃激安の杵築市にさらっと引っ越すというのも、ジョージア移住した僕にとってはなんでもないことだけど、人によっては都会的娯楽がないとかクルマがないと不便だとかで厳しいらしい。

しかし、そんな僕にとっても、たとえば生活コストを下げるために魚を釣ったり野草を採ったりというのは「ザ・努力」であり、そんなことするぐらいなら、頑張ることを頑張るための練習をするよ…ということにもなる。

こうして見ると、「努力を努力と感じない」をいかに増やすかがポイントになるんじゃないかなと。

ではその方法はというと…

①いろんなことを試して、「ザ・努力」なしにハマるものを見つける
②努力慣れする(頑張ることを頑張る練習)

こんなとこじゃないでしょーか。

「やりたいことが見つからない」系のお悩みに対して、ホリエモンあたりが「遊んでればいいよ」というのは、まさに①のこと。

で、②は「ザ・努力」要素がかなり入ってくるから僕は避けまくって、なんだかんだ4〜5年ぐらい①のフェイズが続いてしまってるんだけど…。

これは気を抜くと、本当にただ「遊び」で終わってしまう。

遊びたいだけならそれでいいけど、長期的にハマれるものを見つけて、それを「スキル」と呼べるレベルまで高めようとすると、やっぱり上達のための努力って必要なのよ。

意識的な「ザ・努力」抜きに、ただ面白くて夢中になるだけで、そんなレベルに到達することは難しい。

思うように上達しないとつまらなくなって、有用なスキルとして身につく前に飽きてやめちゃうんだよね…。

「ザ・努力」を避けても生きていける環境ができて、実際に避けまくって過ごしてきたら、ようやくそのことに気付いたというわけ。


…これを書きながら、「その領域において高いスキルを持つこと」と「稼げること」はまた別か、とも思ったけど。

つまり、クルマ関連で僕より詳しい人はいくらでもいるけど、僕のような稼ぎにつながってる人はなかなかいない。

まぁ、これはクルマではなくて発信サイドのスキルに努力した分が効いていて、いわゆる「スキルの掛け算」の話かな…。



ちょっと今回、自分でもうまくまとまってない気がしてるんだけど、そこをどうにかまとめると…

  • 「真面目に努力」がいい人生につながらないと考えるのは当然

  • 努力には「努力と自覚してない努力」が含まれる

  • でも、努力なくして↑を見つけることは難しい

無限ループかっ!!

まぁ、僕としては「やっぱ努力からは逃げられないんだ!」という結論に持ち込んで、僕自身の「頑張ることを頑張る練習」を後押しできれば満足!(読者おいてけぼり)



ここまで楽しく読んでもらえたなら、ぜひ「いいね」の♡をタップしてください!それがnoteを書いていく原動力になるので、よろしくお願いします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?