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コテンラジオの織田信長編が終わった。令和に感謝。

コテンラジオの織田信長編が終わった。

月額サポーター会員特典のアーリーアクセスで、3日間くらいで一気に聴いてしまった。

先日、通常配信が終わりを迎えたので、この織田信長編の感想と、戦国時代の「重さ」と「軽さ」について、書いていこうと思う。

戦国時代という混沌時代

武士のおこりから一貫しているのは、暴力の重さだ。法律やルールなど、言葉による統制が効かないと、暴力によって統制をとるしかない。

社会では暴力が一番重い。そして、戦国時代はまさに暴力の重さによって、重石(おもし)を置き、統治を成立させていたように思った。

そんな時代において、「決断力」と「暴力」と「運」によって領土を拡大していった織田信長は最後、明智光秀に裏切られ、本能寺で自害した。

襲撃が始まったとき、近くにいた家臣に誰の襲撃なのかを尋ね、明智であることを告げられると、信長は「是非もなし」と言ったそうだ。

信長編を通じて、深井さんとヤンヤンさんは「この時代の裏切りはデフォルト(普通)だから」と言っていた。

時代背景の説明を聞くうちに「これ、裏切りって、本当にデフォルト(普通)だわ」と思った。

戦国時代は「家臣が武将を裏切ること」と「武将が家臣に裏切られること」の理由(論理)がほとんど完璧に成立する状況がある。

とても混沌とした時代であるなあと思った。

「是非もなし」という言葉の不思議なウエイト(重み)

信長「是非もなし」

家臣「マジやな。是非もなしやわ」

僕「いやいや、是非もなし、じゃないわ!妻と子どもだち、どうするん!?どうしてくれるん!?」

本能寺で信長が言ったとされる「是非もなし」は戦国時代を表す名言であると思う。

ラジオの中では、明智が裏切った理由についての色んな説を紹介してくれたが、やはり、最も腑に落ちたのは、この時代では「裏切りがデフォルト(普通)」であったということだ。

裏切りがデフォルト(普通)の社会の中で、力のある部下に色々と託していたが、色々あって、その部下の思い通りにならなかった。そして、その部下に裏切られた。だから、仕方ない。是非もなし。

「是非もなし」は軽い言葉のようだ。

しかし、家臣達にとってはどうだろう。当主を失うことは、家督(家族)の生活(命)の保障を失うことだ。

当時、真っ当な生活なんてなかったのかもしれないけれど、家臣たちが命をかけて戦ったのは、家督(家族)のためだったのではないか。

もちろん「裏切りがデフォルト(普通)」である状況を利用して、立身出世を目指していたこともあると思うが、その立身出世も、家督(家族)の生活のためであるはずだと僕は思った。

だから「是非もなし」は決して軽い言葉ではない。

命をかけて生活を守った結果「是非もなし」

信長「命かけて、戦争やるけど、どうする?仲間に入る?」

家臣「はい!」(家族や家督のためやらねば。信長にかけるしかないか。)

信長「是非もなし」

家臣「マジやな。是非もなしやわ」(妻と子どもらはうまく生きていけるかな。俺の決断間違ってたわ。でも、是非もなし。)

ラジオの中で、この時代の武将は、ほとんど時間ないにも関わらず、大きな決断をバンバンやっていたことが話されていた。

「是非もなし」は重い。

しかし、簡単に人が死んでしまうこの時代、命の価値は低い。死んでしまうことは軽いことだったのかもしれない。

一方で、その命をかけて、家族を守るため、立身出世を目指す。

命を賭けたギャンブルのようだ。このギャンブルを多くの人がやっている時代。やはり、混沌の時代であるなあと思った。

「是非もなし」の混沌としたウエイト(重み)

家督(家族)の大切さについては、人質として自分の娘を、敵の武将に嫁入りさせたエピソードも話されていたので、その辺も今とはかなり違うのかな、と思った。

しかし、「人質として娘を嫁がせる」というのも大きな決断の一つであり、家督や領地を守るためには「是非もなし」だったのだろう。

やはり、「是非もなし」は戦国時代を最も的確に表した言葉だ。

もし、戦国時代に生まれていたら、陶芸とか、お茶とか、茶器とか、そういうものを作る職業につきたい。戦うの、マジ無理だし、トップダウンで命かけるの無理やわ。

というわけで、コテンラジオの織田信長編、めちゃくちゃ勉強になったし、面白かった。



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