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違いを認めて共に生きようとする姿勢を問われている気がしている

僕が住んでいる福岡県でも緊急事態宣言が発令されました。第3波として新型コロナウイルス感染者が増加していることをうけ、医療提供体制の維持・確保と感染拡大防止するためです。

僕はよくTwitterで情報収集をしますが、コロナ禍が始まって以来、Twitterのタイムライン上で、ある認識を持つ人たちと、そうでない人たちの分断が起こっているなあと感じていました。例えば、

新型コロナウイルスはちょっとひどい風邪だという認識の人⇔新型コロナウイルスは恐ろしく死に至るウイルスであるという認識の人

新型コロナウイルスに感染することよりも経済を回すことが大切だという認識の人⇔新型コロナウイルスに感染しないことが最も大切だという認識の人

GO TOキャンペーンやるべきだという認識の人⇔GO TOキャンペーン止めるべきだという認識の人

僕のタイムライン上は、こういったコロナ関連の事項において認識の違う人達のつぶやきで溢れています。

「立ち位置の違い」と「情報源の違い」

これらの違いの要因は、この2つの違いによる自身にかけたフィルターの違いでもあるような気がします。自分の都合が悪い情報は入れたくない、自分の都合が良い情報は取り入れたい、そういったフィルターは誰しもに存在するからです。

第1波と第2波の時、多くの人にとってテレビが大きな情報源だったのではと思います。感染することへのリスク中心の報道は、新型コロナウイルスに感染することへの恐怖を煽ることに繋がりました。

感染することは怖いから外に出ない→外に出ている人は頭がおかしい。みたいな自粛警察的な人たちが出てきました。自粛警察的な人たちに賛同する人たちと自粛警察的な人たちをやり過ぎだという人たちで意見が別れていきました。

「感覚の違う、並行世界があるようだ」とは表現しない。これは、一つの世界だ。(小沢健二さんのTwitterより)

一つの世界に色んな考えた方や価値観が存在します。そして、それは、時代によって変わっていきます。

人気のPodcast「コテンラジオ」で配信中の宗教改革編「#153 ローマ教皇至上権〜俺か、俺以外か。」では「当時の価値観が今とどれほど違うのか」について、深井さんから熱い解説があります。

解説の概略は、人が簡単に死ぬ苦しい世の中において、死後に天国に行ける(救われる)ことはめちゃくちゃ大事なことだったので、天国に行けるかどうかを教えてくれるローマ教皇の発言は、生きていく上でマジで超重要だった、ということです。

当時のヨーローッパと現代との大きな違いは、確固たる「答え」がある、ということかなー、と僕は思います。ローマ教皇の教えが「答え」であるのに対して、現代は、多様化し、分断した社会です。

否応なしに共に生きていかなくてはならない

そう僕は思います。時に肯定し、時に否定し、自分を見つめ直しながら、お互いの違いをそのまま認めて、生きていかなくてはなりません。

社会システムのせいで、生きづらいし、大変だし、苦しいですが、それが現代であります。大多数の人たちの価値観が大きく変わった時、必要なら社会システム自体が大きく変わっていくのだと、コテンラジオを聴いて思うようになりました。

いつも読んでいただいて、ありがとうございます。また読んでください。

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