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僕はノア・バームバック監督が大好きだ。何故、こんなにも僕のツボを押さえられるんだろうと思うし、僕のために撮った映画なのか、とさえ思う。

それと同時に、これ、他の人のツボを押さえているのだろうか、と疑問に思う。要は普遍性があるのか、ということ。

『マイヤーウィッツ家の人々』を観て、ノア・バームバック監督が撮る作品の普遍性について考えたくて、感想や批評を検索してみた。

思ったよりも沢山の人達が、この映画を観ていて、割と評価していた。そして、感想で最も多かったのは、「家族」というキーワードだった。

主なストーリーを説明してもいいけど、基本的に大きなことは起こらないのがノア・バームバック作品の特徴

映画『マイヤーウィッツ家の人々』のストーリーは、芸術家の父を持つ、三人の異母兄弟が久しぶりに揃ったタイミングで、父親の展覧会が計画されたが、その父親が入院してしまう、という話。

芸術家の父は、老年で、子どもたちは40代。子どもたちそれぞれに家庭があったり、なかったりで、みんなそれぞれ母親が違う。

同じ父を持ち、違う母を持つ複雑な家族であるのだけれども、父が入院してしまったことで、3人の兄妹が、それぞれの家族や父親に対する気持ち、そして過去の出来事について話していく。

そこで、明らかになっていく、過去やその時の感情が、とても印象深くて、泣けるし、実際に僕は泣いた。

アダルトチルドレンを描かせたら秀逸だと評されるノア・バームバック監督

ノア・バームバック監督は『イカとクジラ』、『マーゴット・ウェディング』、『フランシス・ハ』などの映画では、年齢的には大人なのだけど、精神的には大人になりきれていない人達、いわゆるアダルトチルドレンの描き方が秀逸であるという。

しかし、僕はこの「アダルトチルドレン」という言葉が引っかかる。

監督本人がアダルトチルドレンについて言及しているのかどうかは、さておき、これらの映画に出てくる主人公達は、果たして、アダルトチルドレンなのだろうか。

『マイヤーウィッツ家の人々』の主人公は、この年老いた芸術家の長男であるダニーという40代くらいの男で、一人娘がいる。結婚してから、専業主夫をしていて、働いたことがない。

娘が大学に進学するタイミングで離婚することになったので、父が暮らしている家に行くことになるのだけれども、そこで、異母の妹と弟に再会することになる。

ダニーは父親から音楽の才能があると言われているし、本人もその才能の自覚があり、作中でピアノを演奏しながら歌を唄うシーンがいくつもある。僕はとてもいい歌を唄っているように感じたし、監督もそう描いていたように思う。

余談だけど、アーティストを描かせたら、ノア・バームバックのリアリティにかなう監督はいないと僕は思う。作中に出てくるアーティストの作品が微妙だけど芯を捉えた感じとか、アーティストの人が一般の人とは ちょっとズレた感覚を持っている感じとか。

僕の妻は現代美術のアーティストなので、アーティスト達と会う機会が結構あるけど、ノア・バームバックが描く、アーティスト界隈の人達は、僕が行ったギャラリーのパーティなんかで本当に居る。

話を戻すと、僕は、ノア・バームバック作品に出てくる大人たちを一括に「アダルト・チルドレン」と呼んでよいのかどうか、疑問に思っている。要は、彼ら、彼女らは、アダルトチルドレンでもなんでもなく、ただの大人なのではないか、と思うのだ。

とにかく家族を描く

ノア・バームバック監督は、家族を描く。家族の関係を描き、家族の特徴を描き、家族一人ひとりの感情を描く。

同じ家族なのに、一人ひとりは異なった関係、異なった特徴、異なった感情を持っている。

けれども、それは誰しもが感じていることかもしれない。つまり、家族のあり方って、凄く独特だけど、それは家族を持つみんなが思っていることだ。

家族の誰しもが、独特で、けれども、それが普通であり、僕ら全ての人達は、家族の中で、独特な在り方をしているし、独特に生きてきている。

家族の中に変わったやつがいる。とはいえ、自分自身も変わっているのかもしれない。これが、ノア・バームバック監督の映画における普遍性である。素晴らしい。ワンダフル。とてもおもしろかった。




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