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地域ミュージアム・トークセッションvol.2(2)

地域でまわる「ヒト」「コト」「モノ」「カネ」の仕組みづくり
-小さなエコシステムをつくる〝仕掛け〟のお話し

Chapter-2 景観が人を元気にする

ゲスト
小松 俊昭 氏(合同会社家守公室 代表)
市村 次夫 氏(一般財団法人北斎館 理事長)

ナビゲータ
藤原 洋 (全国地域ミュージアム活性化協議会 事務局長理事)

小布施町でのはじまりは「景観」から

藤原:
市村さん、ここで、小布施町での経済を回すための仕組みとしてどういうことをやってこられたのか、ということをお話しいただけますか。

市村:
小布施は、ヒト・コト・モノ・カネという4つのキーワードからいくと、少なくとも私の場合は、先ずは景観なので「モノ」から入っていくということのような気がします。景観というものが何故必要なのかと言うと、基本的に人を元気にするということだと思うんです。まず、地域の人が元気にならなきゃいけない、そのためには、地域の人が元気になる景観をつくっていかなきゃならない。それには、やはり建物も重要な要素だと思います。そんな中から資金はどこから練り出すか、とか、回収できるのかとか。そういうサイクルに入ると、後継者、次の世代はちゃんとプロデュースできていくのかな、とか。結果的には、ヒト・コト・モノ・カネというのは全部絡みますけど、どこが最初だったというと、小布施町の場合は景観から入っていったというところが特徴だと思いますね。

小布施の景観

何故景観から入ったかというと、我々は団塊の世代で、昭和30年代、まだ車がまだらだった頃の景色の方が、車時代になった後の風景より、非常に心地よかったし格好も良かった。ちょうどその頃、木下恵介監督の『野菊の如き君なりき』という映画が上映されたのですが、何十年か前の我々の町の姿が舞台なんですね、白黒映画なんですけど。映画を見終わった後の一番の印象は、数十年経って、我々や我々の先輩が戦後やってきたことっていうのは、景観の格調を壊してきただけじゃないかと。昭和20年代、30年代の建築、建築に限らず生活のために必要なものもそうです。それをすごく反省しましたね。やはり昭和20年代のふるさとは美しかったぞ、と。それでは車のない生活ができるかというと、それはできない。そうであれば、車を生活に織り込んで、かつ自慢できる、あるいは心和らぐ景色をつくっていかなくてはいけなんじゃないかというのが一番の発端ですね。

そういう目で観光地を見ていくと、観光地であればあるほど安っぽいんです。それは最初からビジネスで考えているからで、ここに5千万円かけたから、これを15年で回収しようとか、これを3億円かけたから15年~25年で回収しようとか。回収を前提としたら景観はつまらないものになるし、安っぽいものになっちゃうんですね。だからひとまずは、回収ということは考えない方がいい。むしろ、どうやって工面してつくれるか。「回収できるかどうかまでは分からない」とそこまでつっぱらなきゃいけないし、さりとて行政のように単年度の考え方で、「その時に予算を組んでつくって後は知らない」とこれも困る。どちらでもなく、回収の問題を考えつつ投資する金額をどうやって工面するか、というのがとりあえずはカネの部分でした。

一言でいえばカネも絡むしモノも絡むしイベントとかコトも絡むけれども、この中で一番どこに意思が働くのかなと思いました。その上で小布施の場合は栗菓子というのが、もともとは小布施ではなく、東京のデパートや県内の観光地で売っていたのですが、やっぱり小布施で売った方が利幅がとれる、という先例がありました。それでは栗菓子屋が観光と合わせてやっていく時に、景観に無関心でなく、気を付けながらやっていくと、資金的にはある程度裏付けをもちながら景観ということをやっていけるんじゃないかな、ということがスタートだったかもしれません。

100年前の人、50年後に生きる人を思う

市村:
その間、行政とはなかなか意見が合いませんでした。世の中全般に言えるのですが、行政も政治家も今いる人たちのことしか考えない傾向があります。100年前の人の思いは無視していいのか、50年後に生まれる人たちの気持ちは考えなくていいのかという縦軸がないんです。だから、我々民間は、天から降ってきたわけじゃないんだから、自分、個々のファミリーの歴史も大事なんだけれども、地域の歴史もやっぱり大事で、地域は何をやって食ってきたのかというのも考え直していかなくてはいけないし、そういう中からビジネスは生まれてきてほしいとの思いから、商品開発や商売を考えてきた部分もあります。この4つの要素に加えれば、「時間」と言うのも重要かなと思います。

道の写真 小布施町

ライブコマースと地域経済

市村:
ちょっと話を飛ばして結論を急ぎますと、コロナでeコマース、ネット上で売ろうということが盛んにありますね。それをさらにライブコマースと言いますかこれは非常に大きいと思いますね。例えばジャパネットタカタ(ジャパネットタカタは非常にパフォーマンス性の高いところですけど)は、先端的でした。テレビショッピング、テレビによって売るというのが、ウェブによって個人レベルでできちゃうという時代が来てますね。これは非常に面白い。かつては、どんな優れものでも流通にのせて世の中に知ってもらうのに10年ぐらいかかった、それがネット社会になって3年ぐらいになりました。さらにライブコマースになれば3年どころか今日のものが明日にはすぐに知られるという段階に入ってきました。ここで地域の活性化、地域経済というのでeコマースが個人レベルでできちゃうようになったのに拍車がかかったこと、ここはやっぱり考えていかなくてはならない。そこを考えていかなくては今後の地域というのは成り立たなくなるんじゃないかなと、それを痛切に感じますね。

とりあえずはそんなことです。私は景観から入って古いものを再生して新しいものにどう取り組んでいくかと、このようなテーマでしこしことやってきました。それで景観が整ったら、味。このクオリティを追求しなくてはならないとか。合わせてイベントがなければ面白くないんじゃないかということで、いろいろイベントをやったりとか。結果的には、今日のテーマのヒト・コト・モノ・カネ、プラス時間みたいなことでやってきました。そこでWebを使ったビジネスがずっと身近になったものですから、ジャパネットタカタさんみたいな人が一人でも二人でも出てきてほしいし、小布施じゃなくても隣町でもいいし。そういう面白い時代に入ってきたんじゃないかと思いますね。

コロナ禍と地域

藤原:
ありがとうございました。小松先生、市村さんのお話しについて、いかがですか?

小松:
私は倉敷で、市村さんと非常にインパクトのある出会いをしました。小布施町で、その年にマラソンをやるというので、私はセーラさんに誘われて走りました。ハーフマラソンは最初で最後でした。その時に一番感じたのは、市村さんのおっしゃった小布施の景観はこういうものなんだ、と走りながら実体験しました。走り終わってから、葛飾北斎の絵を見ることもできました。こういう経験をしてみると、市村さんのご先祖様が葛飾北斎を招いて、それが今日に至る歴史性と時間軸を感じました。そういうものが背骨のようにしっかりしている地域と言うのは、町を訪ねた時に、「たたずむ」ということにつながります。つまり、ほっとするというところにつながる。
コロナを迎えたことによって、今までは「密」な空間の方がよかったけれども、今からは「疎」の方がいい。だから「過疎地」はネガティブな言葉ではなく、ポジティブな言葉になってくる時代が間違いなくやってくる。先ほど市村さんのおっしゃった、テレビでのジャパネットのお話のように、いくらでも地方から発信できる。強みが出てきて、条件が整ったという気がします。市村さんがやってこられた成果が本当の意味で実る時代が来たのではないかという印象を新たにしました。

藤原:
コロナの時代で考えることは多いのですが、ある障害者の方が「みんなが外に出られないと言っているが、私はずっとこの生活です」と話していました。その人は今、コロナ後のビジネスを考えていました。今、オンラインでワークショップ等いろんなことをやっていますが、病気や障害で動けない人も一緒になって参加できる、そういう広がりが大事になって来るのではないかと思いました。コロナ後を楽しみにしながら、何をするかということも大事なテーマになってくると思いました。

まちのリノベーションと空き家

藤原:
小松先生のお話の中に空き家のことがありました。空き家の活用という時に、本当に目的をもってやっていかないと、空き家をリノベーションした後が続かないとまた空き家になるということが起こると思うんです。空き家を受け入れる以上は、そこを活かしていける仕組みを作らなくてはいけないと思います。1軒の空き家をリノベーション、活用するというだけじゃなくて、空き家のある地域をどのように再生していくかという視点をもった方がいいと思いました。空き家が持っている記憶、住民が持っている記憶、そういうものが空き家を活かしたまちづくりに非常に重要になってくると思います。地域の人とのコミュニケーションや地域の文化を背景にした再生が非常に重要になって来る。市村さんのお話を伺って、私は景観の復原と言うことにつながってくるんじゃないかと思います。時代のあるものを手掛けて行くときに、その土地の持った記憶を活かしていく時に有効な手段が生まれるのではないか、あるいはそれを活かしたまちづくりにつながっていくのではないかという気がしております。空き家利用ということに対して、1軒ということではなくて、その地域を活かすために、空き家をどう活かすかということを考えていった方がいいと思いました。

市村さん、小布施町では数年前から県道を再生しようというプロジェクトがありましたね。今、どのように進んでいるのですか?

「道路」ではない、「道」をつくる

市村:
技術論に近いんですけれども、戦後の道路は車を前提にしているので、町の中の道も、町と町を結ぶ郊外の道も同じ考え方なんです、いまだにそうですよね。旧建設省、今の国土交通省の指導を見ると、道路は同じ幅で、できるだけ曲線を無くすという感じなんです。町と町を結ぶような郊外の道路はそれでも我慢できるんですが、町なかでそうすると町が壊されてしまうんですね。それをどうやって抑えるかということを建物と同じくらい重要視しました。そこで徹底的に主張したのは、曲がっているから道というのは楽しんだ、幅が狭くなったり広くなってたりしているからこそ道なんだと。つまり、40年ぐらい前のように、町なかは「道路」じゃなく「道」にしようというのがこの景観のムーブメントなんだということを随分やりました。しかし道路整備の担当者が替わると、また国交省の教科書通りにやってしまいます。ですので、絶えずやっています。彼らに町を壊そうなんて意識はないんだけど、まじめにやればやるほど町は壊れちゃうんですね。

景観から誘発されたスモールビジネス

市村:
民家の問題なんですが、NHKの番組で何とかさんが古い民家をカフェにした紹介番組があったんですけども、これは今、小松先生の言われた昼の部ですね。夜の部はなかなかないなと改めて思いました。夜の部がないとなかなか新しいものが生まれないかな、と。地元の人や観光客がたまには洒落た気分になりたいなと言って来ることはあっても、そこから何か生まれるには、夜の部、酒の部がないといけないような気がしますね。私の町の中にも、ムーブメントとしてではないのですが、個人的に味噌屋さんの蔵を借りて、隣町のジャズ好きが大きなスピーカーとピアノを持ち込んでジャズ喫茶をやってます。人口1万人の町でジャズ喫茶と言うのも贅沢と言えば贅沢なんですが、趣味なもんですから何とか貫いてやってます。あるいは、最近は酪農に興味をもって、ある兄弟夫婦が相次いで30歳前後にUターンして、ジャージー牛を飼ってジェラートの工房&カフェをやっていて、将来的には純小布施産の和牛のステーキをメインにしたレストランをやりたいといったような動きがあります。全体の考えというか、いい景観でなくてはいけないというベクトルが決まると、個々で頑張る若い人たちが出てきています。ジェラート店は今5軒あるんですが、いずれもなかなかのクオリティで、それぞれの特色ある専門店として競っています。方向性が出てきたものですから、具体的なビジネスとして成功させていこうというところに力点が移ってきているという段階だと思います。

小布施牧場

藤原:
単に建物ではなくて、景観から町を考えていくお話だったので、非常に参考になるお話だったと思います。


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