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地域ミュージアム・トークセッション[2]

「コロナ禍の中の地域ミュージアム:北斎・熊野筆・世界遺産-ローカル・ミュージアムの現場から-」

はじめに

「地域文化は知恵の源-Fountains of Wisdom-」
コロナ禍の今、人が集う地域ミュージアムも困難を迎えています。北斎・熊野筆・世界遺産のまちのミュージアム経営者が語る、今とこれからをご紹介します。
今回は、コロナ禍のなかで、それぞれのミュージアムが受けてきた影響についてのお話です。

ゲスト
市村 次夫 氏(一般財団法人北斎館 理事長)
石井 節夫 氏(一般財団法人筆の里振興事業団 理事長)
仲野 義文 氏(NPO法人石見銀山資料館 理事長)
ナビゲーター
藤原 洋 (全国地域ミュージアム活性化協議会 事務局長理事)

コロナ禍のなかでのミュージアム運営は?

藤原: 3館の経営者の皆さんにお話しいただきましたが、それぞれ、違うタイプのものだと思いますし、起源も運営方法も、オリジナル性の高いものだと思います。皆さんが努力して運営してきているミュージアムですが、社会全体がコロナの影響を受ける中で、皆さんのミュージアムがコロナの中でどんな影響を受けたのか、どんなことを考えてこられたのかを、次に伺っていきたいと思います。市村さん、コロナ禍の中のミュージアムについてお話しいただけませんでしょうか?

ミュージアム・グッズ開発を新しい視点で-北斎館

市村: コロナになって、やはり切実にお客さんが入らないので、ミュージアムショップを通販で広げていこうということが一つありました。もう一つあります。それは、従来のミュージアムショップの考え方は、どちらかというと複製品を売るという感じでした。「北斎館」ではこれを一歩進めて、1点ものである肉筆画そのものを複製するというよりも、そこで描かれたものを取り出して、デザインに利用した商品をつくろうと大きく方向転換しました。具体的には、私共の北斎館に「波図」という祭屋台の天井絵で彩色画があります。この波図をデザインして、冬物の暖房洋服(ダウンジャケット)のデザインに盛り込んでいます。また、「波図」も従来は紙にプリントしただけの複製画だったものを、トリミングをして白とか赤のモダンな額に入れて様式化し、リビングや現代風の建物の中にインテリアとして飾れるような作品にしました。あるいは傘に北斎の絵をちりばめたり。通販に力を入れるだけでなく、ミュージアムショップの商品に対する考え方を従来のような「複製品」ではなくて、「このデザインを使って」という方向転換したのはこのコロナの影響と言ってもいいと思いますね。

ダウンジャケット

グッズ開発の「戦力」

藤原: 市村さんのことですから、いろいろと考えて次の手を打ってこられたと思うんですけども、北斎館勤務の方たちは、休館中はどのような活動をしていたのですか?

市村: 本当にクローズしていた時期は短かかったのです。ミュージアムでも個人商店でも基本的には開けておいたんですね。ですから、現在の従業員が特別なことをすることはありませんでした。むしろ、小布施の町や町役場の周辺に、「なんとか応援隊」とかいろいろありますよね。あるいは小布施の町は10年ぐらい前から若者会議で現役の大学生や卒業したばかりの社会人たちとのつながりが多いものですから、そういう人たちに商品開発をお願いして、かつまたWEBの機能の充実も、小布施に縁のある外部勢力の力を借りてやっていったんですね。

藤原: お話を伺っていて、今、我々で進めている関係人口という形をすでにつくっておられて、その中で、様々なアイデアをいただいたり、相談ごとをしたりということで進めておられるのですね。

市村: そうですね。一応、行政には「定住」を担当する係もありますけども、本当に狙っているのは、例えば年のうち3分の1だけ小布施に住んだり、1か月ぐらいじっくり仕事やるために小布施に来るとか、定住ではない、もう少し軽いつながり、ネットワークを構築してきてるんです。実は、こういう時に、そうした方々からのアイデアや技術が非常に役立ったなと思っています。

これまでに経験したことのない入館者減-筆の里工房

藤原: コロナ禍の中で様々な考えが出ると思いますけども、石井さんはそういった状況でどんな活動をなさってきたでしょうか?

石井: コロナ禍の前に、平成30年の夏に西日本豪雨で駐車場が全く使えなくなって、その後、2~3カ月は来館者が激減し、その年の冬から常設展示の改修と空調機器の更新で、約半年間休館してたんです。やっと昨年の4月にリニューアルオープンしたのですが、1年も経たないうちに今度はコロナ禍というのが、ここ2、3年の状況です。

筆の里工房は熊野町の公共施設なので、町の方針で、3月4日~5月18日まで2カ月以上臨時休館しました。予定していた展覧会は1年ほど開期を延長し、5月下旬に再開したものの、これまで経験したことのないような、お客さんが本当に来ない、先どうなるんだという状況でした。この9月に上半期の運営状況は、入館者数は前年の35%、11,183人で3分の1ですね。セレクトショップが前年比で39%、4,400万円ぐらいしか売れていない。もちろん、館内は感染防止の対策で、マスク着用、アルコール消毒、検温、飛沫防止を設置したりということをやっていますが、インバウンドはほとんどゼロ、国内旅行者や団体については、ほとんどキャンセルになった状態です。(公共の交通機関がないのでバスの団体旅行がかなりあったのですが) 10月以降にGoToキャンペーンで入館者数も売り上げも前年比6割ぐらいまでは回復してきました。これも見直すことになっており、今後の見通しもなかなかつかないところです。

制度をフル活用

2カ月間以上の休館中、できることは収蔵品や図書の整理、施設の点検など、再開した後の感染防止対策など限られたことでした。
もう一つは、36名ほど職員がおりますので、その雇用を確保するために、今年の5月以降来年の3月まで、職員と休業協定を結んでいます。雇用調整助成金を受給して全員の雇用を確保しています。あとは持続化給付金、家賃保証、東京都や広島県の支援金、町の方からの入館料の補填など、コロナの関係の感染防止対策に関する補助金を受けたりしています。コロナの影響で取り組んできたことは、雇用の確保です。それ以外には難しかったですね。これを通して見えてきたものやミュージアムの今後については、次の質疑の時にお話しできればと思います。

④新たなコレクション

稼ぎ時に、緊急事態宣言-石見銀山資料館

藤原: いろんなご苦労があると思います。仲野さん、お願いします。

仲野: 私共も、4月の国の緊急事態宣言から5月末まで50日間休館しました。実は、5月中頃に解除されたのですが、大森の町はお年寄りが多いので、外から来られることに対して、とても危機感をもっておられるんですね。それで関係団体とも話して、やはり住民の生活を守ることを考慮して5月末まで休館しました。

石見銀山資料館は基本的に入館料収入だけでやってきました。世界遺産登録の際には、全体の観光客が80万人ぐらい、石見銀山資料館でも15万人の入館があり、その貯金があったんです。ところが最近の観光客数は26万人ぐらいになって資料館自体も1万5千人~2万人ぐらいになっていたので、正直なところここ数年は赤字が続いていました。そしてコロナ禍でさらに厳しい状況になりました。しかもゴールデンウィークという年間で一番の稼ぎ時に稼げないのが最も痛いことでした。職員は、私と事務員の2人だけです。今年度は島根県が教員の社会体験研修というので民間に派遣する事業があり、知り合いの先生が1年間来てくれているので、3人の体制でできています。

学びのバリアフリーでクラウドファンディング

ゴールデンウィークを挟む失われた収入をどうするんだということになり、クラウドファンディングをやりました。当初100万円を目標にすることになりました。どういうコンセプトでやるか。コロナ禍で大変な博物館はどこにでもあるわけです。これを残すことによって、こういうことができる、ということが必要です。我々が訴えたのは、「学びのバリアフリー」、誰でも学びの環境ができる、そのための支援を訴えました。個別のお願いはせずに、SNSを中心にやりました。そうしたら、12日、2週間足らずで100万円、最終的に260万円集めることができました。200人ぐらいの方が、全国から寄付をしてくれました。一番嬉しかったのは、地元の方がわざわざお金を持ってきてくれたり、地元の企業の方が協力してくれたりしたことで、5月のゴールデンウィーク以上の収入を得ることができました。

聾者の会

持続化給付金もいただいたので、前半は何とかなりました。4月~9月末までで、前年比3割しか入館者がありませんでした。10月、11月は、島根県はコロナの影響がほとんどないということで、修学旅行で来てもらいました。島根県や広島県の子どもたちは通常は県外へ行くんですが、今年は行けないので石見銀山に来たり、金沢大学附属高校も来てくれました。修学旅行で10月、11月はお客さんが増えて、昨年よりは少し多くなりました。

休館中には、発信が重要だろうということで、職員3人がそれぞれSNSで発信していきました。日常的なことも何でも発信していこうと心がけました。一番成功したのは、今、マスクが流行っていますが、日本で最初にマスクが作られたのは石見銀山だったということが明らかになったので、動画を作って配信したところ、いろんなところから反響があり、有名な歴史小説家からも問い合わせがありました。休んでいて、人が来ないということであれば発信することに力を入れて、Web講座も開催して100人ぐらいの申し込みがありました。自分たちでYouTubeに動画をアップすることもやっています。最近、私はユーチューバー館長と言われるぐらい、とにかく発信をしていきました。それで、回復するかはわかりませんが、発信し続けることが重要だということがこの間、分かってきたと思います。

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