見出し画像

「二階建ての新幹線」よ、ありがとう!

 2021年10月1日、E4系という新幹線車両が定期運用を終える。100系「グランドひかり」やE1系初代Maxといった、新幹線における二階建て車両の歴史の終焉であり、一つの時代の終わりともいえる。

 私が幼かった頃は、「でんしゃのずかん」を開けば、当時最速を誇った500系や、まだ現役だった0系、ミニ新幹線400系・E3系などといった車両が大きく掲載されており、今思うととても華やかな時代だったと思う。その中において、E4系というのは特段目立つ車両というわけではなかった。ただ、「オール二階建て」というのは、間違いなく子供心をくすぐる要素であった。8両を2本繋いだ16両で世界最大の輸送力を誇る高速列車。そういった"称号"を持つ車両に惹かれない理由はない。といっても、自分は関西在住であり、東北(当時は"Maxやまびこ"があった)、上越新幹線などというものに縁があるはずもなく、ただ写真で見るだけの存在だった。それどころか、東海道・山陽新幹線すら、ほとんど縁はなかったといっていい。帰省もせいぜい広域関西圏内であり、裕福な家庭ではなかったために新幹線で家族旅行ということもなく、新幹線というもの自体が、自分とは遠いものだったのである。

 自分がいわゆる"乗り鉄"に分類されるということを自覚し、乗車だけを目的に各地のさまざまな路線へ赴くようになってからも、新幹線にだけは、「乗りたくて乗る」ものではなかった。あくまで速くて便利な移動手段として使うものであり、旅の目的にはならなかった。これだけ鉄道に関するあらゆるものを趣味の対象にしてきても、いまいち興味が湧かないのが新幹線だったのである。

 E4系Maxは、私にとって初めて、かつ今のところは最後の、「乗りたい」と思わせてくれた新幹線だった。

 初めて上越新幹線に乗る機会があったとき、「どうせなら」とE4系が充当される列車を選んだ。当時すでに先が長くないことが噂されていたし、2階建ての新幹線なんかそうそう乗れるものではない。とりあえずこの機会に乗っておこうとなるのは自然なことだった。それが私とE4系との出会いだった。

 初めて乗った二階建ての新幹線、それがとても新鮮なものかといえば、それもそうではなかったと思う。上越新幹線はトンネルの区間が長く車窓を楽しめる区間も多くないし、二階建て車両の感覚自体は各所で味わったことがある。とはいえ、二階建ての新幹線に乗れるのはここだけ、という特別感は間違いなくあった。

 それから私は長岡に住んで、上越新幹線をたまに利用するようになった。その度に、できるだけE4系の列車を選んでいた。E4系は私にとって、「特別な」新幹線になっていた。乗りたいと思える新幹線。それは、ただ単にちょっとした特別感、優越感、あるいはオタク的承認欲求を満たすためであって、本来の楽しみ方とはズレていたかもしれない。でも、私はE4系を明確に、好きになっていた。好きな新幹線車両は?と聞かれて、E4系だと即答できるようになっていた。それは、E4系のヴィジュアルもまた強い要因だった。

 私が幼かった15~20年前とは違って、今この時代の新幹線電車といえば、空気力学に基づいた鋭い先頭形状の車両ばかりになってしまった。もちろん、科学技術が進歩するのはとても素晴らしいことだ。そして、500系やE7系に代表される鋭くてかっこいい新幹線電車と比較すると、0系や200系、あるいは400系といった丸みを帯びた新幹線電車は、「かわいい」と形容することができた。E4系は、最後の「かわいい」といえる新幹線電車だと思う。オール二階建ての太くずんぐりした図体、細長くないつぶらな灯具。新幹線らしい「スピード感」とは違う、E4系独特のかわいらしさだ。上越新幹線のホームで列車を待つとき、この太い車体の新幹線が入線してくる時間が好きだった。車両が近づけば近づくほど、二階建ての大きさに圧倒される。可愛らしいボディの中に、大量の乗客を運ぶという強さを感じさせてくれた。

 そして下車したときには、毎度毎度先頭まで行ってその姿を見送った。列車が動き出すとき、側面に描かれた朱鷺のペイントが飛び立っていくように見える、その姿が好きだった。とっくに上越新幹線専用となっていたE4系に、新潟県の県の鳥であり列車名である"とき"はとても似合っていた。自分は長岡に1年暮らし、長岡・新潟に「地元」の愛着を持てるようになっていた。E4系は、「わが地元」の誇る素晴らしい電車だ、そういう意識さえも持っていた。E4系と出会えて、何度も乗車することができたことは、長岡に住んでよかったことの一つだと、今なら言うことができる。

 先日、最後の記念にと、E4系のグリーン車に乗車した。新幹線に楽しみを見いだせなかった私にとって、これは特筆すべきことなのである。長岡から東京まで2時間、グリーン車の快適な空間を味わうには少し短いかもしれない。当たり前だが、2階建ての眺望は目を見張るものがある。高崎、大宮と、東京に近づくにつれ、周囲の建物が高くなっていき、巨大都市東京に突入する。昼間に上りの上越新幹線に乗ったのは初めてだったが、これこそが、上越新幹線の魅力だと感じられた。ガラス張りの建物に映るE4系のボディが、何よりも美しく見えた。

 結局飽き足らず、その後にもう一度越後湯沢から新潟までE4系に乗車した。新潟駅は、「Max」への別れと感謝のメッセージが、様々なところで見受けられる。本当に多くの人々に愛された新幹線だった。公式でも多くのイベントが開かれ、グッズが販売されている。JR東日本の人々も、本当にE4系が好きだったのだと、そう伝わってくる。初めて出会って2年、長岡に住んで1年の私など、新参に違いない。「E4系が多くの人々に愛されていてうれしい」などと、言える立場ではないかもしれない。でも、E4系は私の大好きな車両であり、みんなに愛された車両であったことは、本当に嬉しい。

 私が長岡にいるのは今年度限りで、また西の国に帰ることになる。キハ40が去り、万代口駅舎が無くなり、そしてE4系も去る。短い間に、いろいろなことがあった。新潟の在来線を走り続けた115系ももう長くないかもしれない。そんな新潟から、私も去るのである。長岡に住んだことは、人生のいい思い出になった。

 これを書いている9月30日、E4系の定期ラストランは明日に迫っている。明日の夜、また長岡駅に行って、最後のE4系を見送ろうと思っている。E4系をこうして見送れることは、きっと幸福なことなのだろう。

ありがとう、E4系。ありがとう、Maxとき。そして永遠に、さようなら。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?