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自称ミリP、デレマスライブの引力に従ってみた。

とうとうこの世界に来てしまった。

私とアイドルマスターとの出会いは、中学生に上がる直前ぐらいに触れたニコニコ動画での人気コンテンツとしてだった。当時はろくにゲーム機も持っておらず、ただ知識として知っているだけだった。
Twitterをやるようになって、シンデレラガールズが人気コンテンツであることは知った。アイマスを楽しんでいる人たちは身の回りにたくさんいたし、羨ましかったけれど、それでも見ているだけだった。なんとなく、歴史の長くて深そうなコンテンツに、にわかとして第一歩を踏み入れるのは抵抗があって、壁を感じて立ち止まっていた。
最初の転機はシャニマスのリリースだった。まったく新しいコンテンツなら私でも住人になれると思った。長い間アイマスに興味はあったので、プロデューサーになった感覚を楽しめたのは嬉しかった。名刺を作ったりとか、けれど、ゲーム性が合わなくて、長続きしなくて、なんとなく「シャニマスをやったことがある人」に逆戻りしてしまった。思えばここで、ゲームから離れても別の方法で追い続ければ、今また別のところに居た気がする。けれど、ゲームをやっていないのにプロデューサーとして居続けるのも、何か悪い気がしていた。
2回目の転機は、周りのおかげでミリシタを始められたことである。厳密に言えば、リリース当初に少しだけ触ったことはあったので戻ってきたということになる。音ゲーが好きなのもあったし、いろいろ私の好みを考えて勧めてくれる人がいたおかげで、沼に浸かって、北沢志保さんという担当を見つけ、そうして「プロデューサー」になることができた。ミリオンライブのPとして、なんとなく「Pらしいこと」をいろいろやってみた。
そうして社会人になったのが、昨年のことである。私は比較的貧しい家庭で育っており、CDを買ったり、ライブに行ったりというのは、なかなかできることではなかった。タイムラインで流れるたびに、楽しそうにしている人たちが羨ましかった。声優に興味はないからと、そういう言い訳をしていたけれど、やっぱり楽しそうだった。自分で収入を得られるようになって、初めて参加したのが、武道館のミリオンライブ9thだった。あのときの興奮について記していたら、前置きだけでこの文章が終わってしまうので述べないことにするが、ライブの臨場感、一体感、高揚感、そういう感覚を知ってしまった。ライブというものの価値を、プロデューサーとして、初めて体感した。

繰り返すことになるが、アイマスの中でもシンデレラガールズは人気のコンテンツと言っていいだろう。ミリオンライブだけを知っている状態では、プロデューサー間の話題についていけないことも多い。だが、歴史も長くキャラクターの多いデレの世界には、どこから入っていけばいいかわからなくて、距離を取っていた。
そんな私の背中を押してくれた人物がいる。藤原肇さんである。私は大阪で生まれ育ったが、就職を機に岡山に移住していた。岡山という場所を、私はとても気に入って、住み始めて1年もしないうちから、日常会話にも岡山弁が混ざるようになって、いつしか岡山人というのは私のアイデンティティーの一つになっていた。そんな岡山で、シンデレラガールズのキャラクターが、ひときわ大きな輝きを見せてくれていた。
このときまで、私は藤原肇さんというキャラクターをよく知らなかった。けれど多くのプロデューサーが、藤原肇さんをきっかけにして、岡山を訪れてくれていたのがとても嬉しかった。彼女について調べれば、(そこそこ偏食の自覚がある)私の好みにも合致するような気がした。彼女のことを知ろうとすればするほど、「備前焼小町」藤原肇さんが、わが岡山が誇る星に見えた。プロデューサーはまだ名乗れないけれど、岡山人として応援しようと、そう決めた。

「耀城夜祭」の開催を知った私は、とても悩んでいた。出演者の一覧には、藤原肇さんの名前があった。そして会場は、私の生まれ故郷である大阪だった。「行かねばならない」と思う気持ちと、「シンデレラガールズのことをろくに知らないままの私が行ってもいいのだろうか」という気持ちがせめぎあっていた。迷いから踏み出すことができたのは、いつも会場で出会うプロデューサーの方々の優しさだった。新参でにわかの私を受け入れ、新たな道に誘ってくれる、そういうアイマスPの皆様が好きだった。損はしない、そう確信できた。

こんなモチベーションでチケットを握ったからこそ、藤原肇さん役・鈴木みのりさんの欠席を知ったとき、どうすればいいかわからなくなってしまった。「岡山から地元の星を応援する」気持ちで大阪に行く、主目的が喪失してしまった。チケットはもうそこにあって、新しい名刺も作っていた。藤原肇さんがいない以上、シンデレラガールズのライブを、にわかなりに楽しむことしか思いつかなかった。そしてそれは、十分に魅力的に思えた。ちょうど岡山には、私と同じように、ミリオンライブを好きになって、シンデレラガールズにも触れ始めたばかりの知人がいて、二人で山陽路を、大阪まで向かった。

当日私は、偶然にも権利を得ていたツアマスのロケテストを楽しんだ後、大阪城に向かった。デレのライブに行く機会はなかなか無いだろうと考えていた以上、せっかく刷った名刺はできる限り使いたくて、募集を見かけたら積極的に交換するようにした。私はこの名刺交換という文化が好きである。もともと私は、いわゆるコミュ障というか、人と話すのは得意な方ではない。会社で同僚に質問するのもいつも躊躇している。けれど名刺交換という機会では、何故か初対面の全く知らない人に声をかけ、挨拶をして、お互い様々に話をすることができてしまう。アイマスは間違いなく、私に力をくれていた。凝った名刺を作っていらっしゃる方も多く、集めるのも楽しい。今までのライブでは誰かしら知人と行動をともにしていたのが、今回は一人で歩き回ったが、大変多くの方と名刺交換していただけた。快く引き受けてくださった方に、大きな感謝を示したい。


ホールに入った後は、多少のアウェー感は感じつつも、そろそろ慣れた雰囲気だった。ちひろさんの姿を見て、ペンライトを準備しようとしたとき、あることに気づいた。私はペンライトを2本持ってきていたが、うち1本は前回参戦したミリ10thAct1(day1)の最中にRGBのGが出なくなったようで、一部の色が正常に点灯しなくなっていた。1本は正常なのと、一部の色は正常に出るので、買い替えを躊躇していた。前日に電池を確認した際もこのままだったので、まあ基本1本振れればいいだろう、という気持ちだった。緑色を点けられるのはどちらだったかな、と切り替えボタンを連打する。私の両手の光は、ともに緑色に光った。復活したのだ。こんなに奇跡みたいなことがあるのだろうか。ステージの輝きは、もう私の手に降り注いでいたのだった。

キャラクターは辛うじて知っているけれど、声優さんまではわからない。ペンライトの色もわからない。曲も少ししか知らない。モニター頼りでもコールができるのは幸せだ。私に理解できるのは、セットリストや演出に込められたコンテクストのうちのごくわずかだろう。とはいえそれを悔いても始まらない。この場所はお祭りなのだ。熱気を全力で味わってみよう。そうなるともうポジティヴになれてしまう。何も知らないならではの衝撃っていうのも、あるだろう。序盤では特に、「Bloody festa」は、私の脳を動かすのに十分だった。私の席は最後列の通路横だったので、かなり想いのままにペンライトを振ることができた。

さて、藤原肇さんを応援しに来た以上、「Sunshine See May」に触れないわけにはいかないだろう。実を言えば、このときの私は、この曲そのものには深い思い入れがなかった。だから藤原肇さん不在で歌われることに、まぁ仕方ないというような気持ちになっていた。本来あるべき人がそこにいないという悲しみは、私よりも強く味わった方が沢山いるだろう。 私と名刺を交換してくださった多くの方が、「肇ちゃん残念ですね」との言葉をかけてくれた。確かにこれは、本来あるべき姿では無い。けれど高田憂希さん、依田芳乃さんは、そこにいない肇さんのぶんまで、山紫水明の精神を表現してくれたのだと思う。この曲の音色は、聞いていたあのとき以上に、今の私に響いている。

私にとってより問題なのは、「isosceles」である。まず私はシンプルにこの曲が好きだし、もうなんなら私はこれを聞きにきたといっても過言ではない。イントロが流れたとき、ここに来て良かったと思った。 私が求めたものは、ここで完成しないことは明らかだったけれどステージに上がった津田美波さんを見て、私は信じることができた。
月並みな言葉を使っても良いだろう。藤原肇さんは、確かに「そこに居た」のである。こんな感動は、今までなかった。肇さんが「居る」ものとして表現してくれたことに、本当に最大限の感謝を示したい。私は最高潮を維持して、そこに居る小日向美穂さん、藤原肇さんから情熱を頂くことができた。

興奮は途切れることはなかった。八神マキノさんの「ノーチラスソナー」である。元々私は、八神マキノさんが好きそうだと言われていたことがある。そう言われていただけで、特に彼女に対して詳しいわけではなかった。初披露だということも知る由はなかった。ただ、この曲は、このステージは、とてもとても私の好みだった。言葉にしづらいのだが、私は「こういう人のこういう曲」がとても好きなのだ。演出も、歌詞のテーマも、歌声も、ステージの彼女も、私に刺さるものと言ってよかった。初めて聞いてそう思えるのだから、これは間違いないだろう。この瞬間に立ち会えて、本当に良かったと思う。

この2曲の流れで、ここに来た私は完全に満たされたと言っていい。今まで隣にあると知りながら、微妙に触れてこなかったことを申し訳ないと思うし、それでもここでちゃんと踏み切れたことは褒めてやりたい。クライマックスで言うなら、「Orange Sapphire」のコールなんかは、一度はやってみたいと思っていたことだった。この楽しさは、声出しが解禁されていてこそだろう。最後にはちゃんと「お願い!シンデレラ」も聞けた。2023年6月11日は、シンデレラガールズという宇宙が、少し離れたところを歩いていた私の道と繋がった、最高の日になった。

これは重要なことなのでここに書き記しておくのだが、私は岡山県でも不便な場所に住んでいるため、この開始・終了時間は非常にありがたかった。すぐに新幹線に乗って、その日のうちに家に帰れたライブは初めてだった。大変助かったので、次からもぜひこの時間でお願いしたい。
翌日普通に仕事の予定だった私はすぐに帰ったが、遠方から来られた方が大阪を楽しんでいるのも大変嬉しかった。私の少年期はろくでもない思い出も多いけれど、大阪で生まれ育って本当に良かったと思っている。また機会があれば大阪の良いところをたくさん伝えたいし、少しでも好きになっていただければ幸いである。翌日の午後のタイムラインは、大阪で余韻に浸っている人々が去っていくのが少し寂しかった。

私が何故ここに来たのかと言えば、まず第一にここが大阪であったこと、第二に岡山に藤原肇さんがいたことである。私が「岡山の大阪人」になっていなければ巡り合わない運命だったかもしれない。この日ほど、大阪人であり岡山人であって良かったと思ったことはない。私はきっと何かの星に、導かれていると思う。

今現在、名刺を交換したたくさんの方々が私をフォローしてくださっている。私のツイートは残念ながらあまり綺麗なものではないし、デレマスについてはあまりツイートしないと思われるので、もし邪魔であればミュートなりリムーブなりはしていただいても構わない。
メインのミリオンライブすら全力で追えているとはとてもいえない状況なので、これから先シンデレラガールズにどうやって関わっていくかは未知だが、これからも藤原肇さんのことはもちろん応援していくし、他の方々についてもこれから応援して行こうと思う。もし私に道を示してくれる方がいれば幸いである。

最後に改めて、私をここまで連れてきてくださったアイドルマスターシリーズ関係者の皆様、そしてプロデューサーの皆様に感謝を申し上げたい。


今回の新造名刺(表)。私の近所、宇野港である。来てください。


今回の新造名刺(裏)。千鶴さんを後から追加したときにデザインが思いつかなかったのでちょっと急造感がある、ごめん。


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