その他に名前をつけるなら。
こんにちは。
早速三日坊主ならず一日坊主をやりかけました(戻ってきたからセーフと見なす)、窓枠です。
最近はもう新しいことがすぐ続かなくなる自分に愛おしささえ覚えます。
私的な言い訳を言うとするならば、新しいことを受け入れる基盤を作りにくい体質だから、という屁理屈でしょうか。
むしろずっと続いていることには強い、とか。
いい意味で保守的、とか。
変化に弱い分、変わらないものを極められる、とか。
でもずっと続いていることって何?
変わらないものって何?
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
変わらないものなどないはずなのに。
前置きが長くなりましたが、今回のテーマは「その他」です。
前置きと関係ないな。
私が主張したいのは、 “その他” があるから計画とか計算がうまくいかない、ということです。
そもそも私にとって “その他” とは、
“なんとも言語化しにくい、でも全てを包括するために必要な物事の隙間” でしょうか。
何言ってるか分かります?
例えば家計簿の “その他” といえば、
駐輪代にかかった100円。お賽銭に使った100円。
例えば、スケジュールの “その他” といえば、
外に出ていたけどただぼーっとしていただけの時間。
実際必要で、むしろそういう “その他” の存在によって助けられている部分もあると思いますが、こいつの弱点。
いかんせん、言語化がしにくい。
家計簿に駐輪代という「カテゴリー」があるものは少ないし、あったとしてもまた他の足りない「カテゴリー」があるでしょう。
一日のスケジュールを組む時にあらかじめ、ぼーっとする時間を組み込んでおく人も少ないと思います。
だから、1日の辻褄が計算とリアルでは合わなくなって、嫌になっていくわけです。
あ、あとその他の割合が増えすぎるのも嫌だな。
でも、私はそういう定まった枠の中で生きていたいわけではない。すべてカテゴリー化されていたらそれこそ嫌になりますよね〜。
矛盾を抱えながら過ごしている(?)今日この頃です。
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