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懊悩と評判と葛藤と。

 2019年が始まって1カ月が経とうとしてます。時の流れは思いがけず早いもので、今月は前半10日までを海外で過ごしたこともあって、仕事に対するギアを急に踏んだような形で寒冷の日々を過ごしております。

 以前ツイッターで「メディアはいいところばかりを取り上げるのではなくて、もっと煩悶している生の声を拾うべきだ」と書いたのですが、今まさに自分自身がこの懊悩の渦中におるように思うわけでして、お恥ずかしい話ながら、珍しく今の遣る瀬無さを思うままに書き付けてやろうと思いました。

 何せここ数週間心の靄が一向に取れないように感じております。目の前のやるべきことはあるんだけれど、その先にあるもう少し漠然とした不安が常に心に翳りを見せるようで、集中力が散漫になってしまう。

 端的に具象化すれば、自身の編集というキャリアの在り方が、このままでいいのか、ということをずっと考えておるのです。もっとわかりやすく言えば、自分の文章力、アイデア力がこのままではいかんと危惧しているわけです。

 100%以上の精神力で仕事に向かうことができない場合もあって、されども、これまでの自分のノウハウに従って、わりかし小ざっぱりとした、一見問題はないかのような納品物を仕上げることは訳の無いことです。正直なところ、いただく取材依頼や原稿を淡々とこなすだけで慎ましくも生計はある程度成り立ちます。

 ただ、このままでは文章の書き方やアイデアが一辺倒になるばかりで、嘗てのようなコンテンツが出来上がった後の快感といいますか、充足感が得られなくなってきているのです。所謂スランプでしょうか。最近では原稿の数も分量も明らかに減ってきています。これは自分のためにも、また仕事を頂く方々に対しても良くない。

 然も最近では自分の得意分野がわからなくもあるのです。好きな分野は何処にあるのかしら、ということをはっきりと答えられない。とはいってもいただく仕事を蔑ろにしているわけでは決してありませんし、自分の得意不得意に関わらずお声かけいただく仕事には全力で取り組もうという志があることはご承知いただきたい。

 もう一つ、ここ半年間、フリーランスとしてあらゆる種別の仕事に接してくる中で、こんな言い方を自らするのは烏滸がましい話ですが、周囲から褒められること、期待をいただくこともありました。そうなると、それ以前の度量の自分には戻れないのだからと、正直その印象・評判だけが身体の外へ向かって一人歩きを始めることが非常に恐ろしくもありました。私は何か特別な技量を持っておる人間で、それを十二分に発揮できているのだろうかと。

 そんなわけで纏まりのない、つまらないことを書き連ねてまいりましたが、毎日毎日がまどろみの中にいるような、深い湖から水面を見ているような、そんな息苦しい状況が続いているというお話です。ここから抜け出す方法はまだ見えませんが、とにかく粛々と日々を積み重ねていく先に糸口があるのか、若しくは思い切っていろんなものから距離を置いてみるべきなのか、そもそもこんなちっぽけな悩みは贅沢だし成長の途におるだけなのだと一笑に付すべきなのか、さあ、これからどうするべきなのかは、全く未知なのでございます。

#コラム #キャリア




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