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弟の名前は厚史。
年子の弟だ。

オレたちは、幼稚園、小学校と同じだった。
喧嘩もよくした。
弟はとても優しいやつだった。

弟とは喧嘩もしたが、弟が傷つくのは嫌だった。
弟がやられた時は、弟をいじめたやつのところに行き、徹底して仕返ししていた。

オレと弟は、中学では、別の学校に行き、道が分かれて行った。

オレは行っていた学校で、そのまま大学行く未来に希望も持てず、高校に入った頃は、万引きを自慢しているやつを見て、こんなやつらと一緒にいても小銭を盗むような生き方しかできないと思った。
そこでオレはただ辞めたいという目的以外の目的もなく、高校を辞め、フラフラする生活をしていた。

体を鍛え、映画を見て、競馬をする日々。

弟は、高校に入ってから、ヒップホップを聴き、将来DJになりたいと家族には話していた。
家族の中で厄介者となっていた存在となっていたオレは、家族とも口を聞かなくなっていた。

疎遠な関係になっていた弟は、オレとは全く違う世界を作っていて、オレは闇の中に沈み続けた。

ある日弟に異変を感じた。
肌がピンク色になっている部分があったんだ。
根性焼きってやつだ。

弟と口も聞かない感じの関係になっていたオレは母親に、大丈夫なのか、何かあったらオレに言えよって間接的に言うことしかできなかった。

8月25日、異変があった。
昼に弟の部屋の鍵が開かないと親父が言った。
開けてみると骸になった弟がいた。

親父は、弟を下ろして、家族は慟哭した。

警察が捜査し、概要がわかった。

弟は、当時はやっていたパーティーのパー券を売るように脅されていた。パーティーは開かれず、オバケのこともあり、そんな詐欺まがいのこと弟は出来なかったんだ。
親の金盗んででも金を払うことをしなかった優しい弟は、死ぬ前日、多摩川の河川敷で、集団暴行に遭い、悲観し絶命した。

オレは、何で助けられなかったんだろう、オレは、何てクズなんだと泣き続きた。

そのころオレは通信制の高校に入っていたが、友達もおらず、何かのときには、人のいない弟の墓に行き、泣き続きた。

そこがオレのすべての原点だ。

オレが17、弟が16のときの話しだ。

オレは別にいつ死んでもいいと思ってる。

そしたら、弟と会って、弟と酒でも飲んでみたい。

8月が来るといつもあの時のことを思い出す。


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