身体の価値は変化するか?
身体の価値は変化するか?
身体に対する革命、あるいは変革が今後さらに加速する可能性があるかもしれません。今日はそんなお話です。
これまで、私たちは身体がすぐそこにあるため、付き合いも長いし、自分が一番わかると思っているかもしれません(それは一部正しいかもしれません)。また、動かせるからこそ、自分の身体を十分に理解していると考えすぎているかもしれません。あるいは、自分自身と身体との関係について、無意識に近い状態にあるのかもしれません。
しかし、多くの身体の専門家、または一部の専門家によって(アスリート、舞踊家、武術家、ヨギーなども含めて)示されたり、体験されたように、身体は変化し進化し、より広がりを見せていきます。
例えば、視覚的な分野では人間は見ている世界が全てだと勘違いしやすいと言われています。絵画の歴史が物語るように、抽象や写実も同様かもしれません。時代による社会環境や人間環境、または技術的環境が、人間が見てきた世界を視点や粒度や角度など、とにかく異なるものにしてきました。そして、それ自体が人間の変化に合わせて進化してきた部分があるのです。
つまり、この現象を現在の身体に当てはめると、まだ多くの人々が身体に関して体験している解像度は依然として低いのではないかとも考えられます。
例えば、最近のサウナもそうかもしれません。”整った”という概念は、体験は言語としても非常に興味深いものです。
そして、そのような体験を自分も経験してみたいと思うと、整った状態が具体的に何を意味するのか興味が湧いてきます。
さらに、人々がその整った状態に焦点を当て、その経験を共有することで、一種のムーブメントが生まれつつあるように感じられます。
このような現象は非常に興味深いものです。
私は鍼灸マッサージ師および柔道整復師としての職業柄、サウナブームによる”整った”という言葉と共に広がるリトリート的な価値観には目を向けざるを得ません。この傾向は興味深く、施術の体験そのものをある種の整った状態にすることが可能か、あるいは整った状態に近い効果を引き出すムーブメントを起こしたり、そのような効果を言語化する方法を模索したりすることを考えたりすることもあります。
もっと違う話も展開してみましょう。
社会がますます便利になるにつれて、人々は労働に身体を使う必要がなくなっていく傾向があります。自動車やエレベーター、機械など、あらゆるものが便利になる一方で、街には大小さまざまなトレーニングジムが増える光景も見かけるようになりました。
そして、スマートフォンをはじめとするインターネットの進化やデバイスの発展、さらにはそのアプリケーションやサービスの改善により、視覚や聴覚を中心とした脳への影響が拡大しています。この進展が今後も続くのか、という疑問に加えて、さらなる発展があれば、身体の変容はどうなるのかという、より根本的な疑問も湧いてきます。
あらゆる二極化はますます進んでいくでしょう。
そして、将来的にはマトリックスのような世界(神経を介したシナプスの交換など)も実現されるかもしれません。
しかし、その段階に至る時代の手前に、脳へのアプローチが過度になるほど、身体への反応として、逆流的な動きが起こるのではないかと考えられます。また、サウナブーム自体がこの流れの一部とみなせるかもしれません。
さて、この点をさらに深掘りして施術に話を繋げたいのですが、
施術者が患者さんやクライアントに対して、どのような価値を提供していくか?
という点にも焦点を当ててみたいと思います。
痛みの施術、可動域、自律神経、靭帯や関節に対する施術、ある特定の部位や症状に対する治療は、これまで行われてきたことであり、これからも大切にされる価値提供であると考えます。
さらに、身体感覚の拡張やその体験を提供する施術が価値として認識され、それを求める顧客が増え、社会全体で人間の身体的な拡張が進む瞬間が訪れるならば、その時が次なる大きな施術の爆発的な普及の始まりとなる可能性もあります。
もし視覚、聴覚、味覚が現在のあらゆる専門家や技術革新によって拡張されてきたならば、体性感覚的な進化と拡張も今後数年または10年にわたって大きくなる可能性があるとも考えられます。
まだまだ妄想の域を出ない部分も多々ありますが、これまでの歴史や現代の技術革新、そして未来的な発展において、人間の立場や進化を考えると、身体という側面を考慮しない人々と、進化に熱心な人々の二極化が起こっているように感じられます。
結論的に、何が言いたいのか、というほどには明確な答えがありませんし、私の意見もありません。
ただし、全く関連のないかもしれませんが、私がたまたま扱っているダンスという分野の普及や、近年のマシンピラティスの人気、チョコザップなどによる身体をテーマにした店舗拡大などを見ると、身体の感覚を何らかのフックによって拡張する傾向が流行しているかは別として勃興し始めていると言っても、それを完全に否定することは難しいと感じています。
手技による施術と別に、鍼灸について一般的には恐怖や痛みといったイメージがあります。しかし、鍼灸師が鍼を使用して施術を行うことで、体に良い影響をもたらすことを理解してもらう必要があります。そのためには、実際の体験や感覚を通じて変化を体感し、患者さんにその効果を理解し納得してもらい、最終的には満足してもらうことが大切です。
その点は簡単なことではありませんが、例えば経絡治療や接触鍼などの施術を行う際には、通常の治療よりも患者さんの体感力や認識を更に高めていく必要があります。そうしないと、施術の効果を十分に理解してもらえず、価値が認められないこともあります。そのため、鍼灸師としては、患者さんとのコミュニケーションを大切にし、施術方法や説明に工夫を凝らして理解と納得を促す努力をすることが必要です。臨床現場では、そのような瞬間が日々訪れることがあります。
そのような場面では、身体の感覚の拡張を通じて脳の変化や発展、またはその双方のフィードバック状況を把握したりイメージして、患者さんと共に歩んでいる感覚が生まれることがあります。この感覚をさらに明確にし、言語化していく必要があるのではと考えることがあります。
そして、もし次なる大きな価値が存在するのであれば、全ての鍼灸師ではなく一部のコアな人々でもその価値を伝えていくべきだと感じます。そのような事象を仕事として捉えることは、非常に楽しみなことです。
今やっている仕事が良い形で拡がっていくと良いなといつも考えています。
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