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「おかえりモネ」が終わって 【148/200】


「おかえりモネ」が終わった。

久しぶりに1週目から最終週まで欠かさず視聴した朝ドラ。

朝ドラらしくない、地味、暗い、などいろいろ書かれた時期もあったけれど、僕自身にとっては初めから最後まで、優しく毎日に寄り添ってくれた素晴らしい作品だった。

最終話を迎えて、来週から「おかえりモネ」のない毎日を過ごしていくにあたって、この作品を通じて考えたこと、感じたことを、書き記しておきたい。


■僕らは何かに縛られて生きている。

震災の日、津波に襲われた島にいなかったモネ。
祖母を置いて逃げたみーちゃん。
教え子たちの避難引率中に家族の元に行こうとした亜哉子。
最愛の妻を亡くして漁師をやめた新次。
親父の姿を見て人を愛することを拒絶する亮。
家業を継がずに選んだ銀行員としての生き方に悩む耕治。
判断ミスで患者の人生を変えてしまった医師、菅波。

書き切れないほどこの作品には「過去の出来事」や「心の傷」に縛られて生きる人物が描かれた。その誰もが、悪くない。悪くないのに、自分の過去に向き合って、何かに縛られながら生きている。


物語の進行はとてもゆっくりだった。
時間の流れも、関係性の変化も、視聴者の人生のリアリティに寄り添うように、ゆっくりゆっくりと流れていった。それはとても優しくて、誠実なストーリー展開だったと思う。

何かに縛られているのは、僕も同じだし、おそらく本当に多くのみんなが、何かしらの過去に縛られて生きていることだろう。
それを直視することは、しんどい作業だ。だから、好きなもの、楽しいもの、忘れさせてくれるものに目を向け、心のバランスを保っている。
それでも僕らは、縛られているものから目を背け続けることはできない。いつかは、何らかのタイミングとシチュエーションで「それ」に目を向け、受け入れていく必要がある。

「おかえりモネ」の登場人物たちのコミュニケーションと時間の流れ方は、とても慎重で、丁寧で、視聴者である僕が「それ」に向き合うきっかけを与えてくれたように思う。


■そのままでいい。変わってもいい。

あの日「島にいなかったこと」によって、実家から離れざるを得なかったモネ。
海から離れ、山で暮らす人たちとの交流を通じて「そのままの自分」を受け入れていく。
縛られているものから離れた環境において、新しいものに触れ、新しい人たちと出会いながら、自分の原体験と未来を結びつけていく。
「気象」という人生のテーマを見出し、東京に旅立つ決意をするモネと、それを後押しする山の人たち。心の赴くまま「変わってもいい」というメッセージを、受け止める。


縛られているものと向き合うためには、距離を置いたり、時間を置いたりすることが、有効だ。「心の傷」とは、起こった出来事に対して自分でつけた「意味」のこと。「心の傷を癒す」ということは「意味づけを変える」ことに他ならない。しかしそれは、簡単なことではない。頭で考えて塗り替えることができるなら、物語はそこで終わる。頭で考え、身体で動き、心で感じながら、人はゆっくりと意味づけを変えていくことができる。そこには時間と出会いと、自分との対話が必要なのだ。


■「音楽なんて、何の役にも立たないよ」

モネは吹奏楽をやっていた。担当パートはアルトサックス。自分が目立つことよりも、誰かのため、みんなのために尽くすことを好む彼女らしい楽器だ。
中学時代、友達や妹を誘って吹奏楽部を立ち上げ、演奏会にも出演。集大成としての卒業コンサートの前日に、震災が起こった。音楽コースのある仙台の高校の合格発表日。不合格の結果と「島にいなかった自分」を受け取った3月11日。
物語を通じて「音楽」はモネの心の傷の象徴であり、癒しと赦し、意味づけを変えていく象徴でもあった。

「音楽なんて、何の役にも立たないよ」

そう語り、モネは「直接的に」誰かの役に立つことを追い求める。

「人の役に立ちたいとかって、結局自分のためなんじゃない?」
「何も関係ねぇように見えるもんが、何かの役に立つっていうことは、世の中にはいっぺぇあるんだよ」

様々な人たちとの出会いと、そこでもらった言葉が、モネの中の「意味」を変えていく。
直接的に人の役に立つために、ではなく、関係性の中で、関わり合いの中で、自分の信じることを一生懸命にやることで、間接的に人の役に立つことがある、ということを理解する。


僕は以前、「藤井風と、祈りの時代」というブログを書いた。

僕らが生きているこの時代は「祈り」の時代なんじゃないか。そう書いた。
祈りの時代において、音楽が果たす役割は大きい。自分のために奏でる音楽が、多くの人たちの心を癒す。気仙沼に戻ってきたモネがコミュニティラジオで自分を癒す曲を流すシーンは、彼女の心境の変化をビビッドに描いていたように思う。


■無力さを受け入れることから始めよう。

物語中で、様々な自然災害が起こるたびに、モネも、周りの仲間たちも、そして視聴者も、人間の無力さを何度も突きつけられる。
その土地で暮らしたいという想い、利益を上げて経済活動を回さなければならない現実、突然容赦なく襲いかかる自然の猛威。
放送期間中に現実世界でも様々な自然災害が発生し、登場人物たちと同じように、僕らは己の無力さを知らしめられた。

モネの東京行きのキーマンとなった気象予報士・朝岡は、ビジネスの観点においてもライフワークの観点においても、気候変動の深刻さについて警鐘を鳴らしている。
これは、現実世界の僕らにとって、目を背けることのできないシリアスな問題だ。
資本主義のフォーマットで加速度的に消費活動を増加させた現代社会にとってあまりにも不都合な事実が、これからさらに僕らに「無力さ」を突きつけることになるだろう。

それでも僕らは、だからこそ僕らは、この「無力さ」を受け入れることから始めるしかない。

昨日を失っても、今日はまたやってくる。
そして明日をつくるのは、他でもない僕たちなのだ。

それを心に刻んで「おかえりモネ」のない毎日を過ごしていこうと思う。


noteを読んでくださりありがとうございます。 歌を聴いてくださる皆様のおかげで、ヤマカワタカヒロは歌い続けることができています。 いつも本当にありがとうございます。