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小笠原滞在記 Day 3 「過去の自分に出会う旅路」

小笠原諸島の南島は楽園だった。

父島の南にあるその島は、外来種を入れないために靴を海水で洗い、ガイドさん同伴でないと入ることができない。というよりは、ガイドさん無しでは近づくことさえ出来ない。島の周辺は激しい波が押し寄せる難所のようで、カオス理論でも予測不可能な、複雑で激しい波にその島は守られているからだ。

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でも一旦そこに到達すれば、待っているのは少し現実感を失うような見たこともない光景。歩いて30分ほどで回れる小さな島の中には、白い砂浜、青い海、見たことのない緑と、それから言葉を失うほどの美しいエメラルドの内海が、コンパクトにぎゅっと詰め込まれている。

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頭の中で「ゼルダの伝説」の、隠し部屋を見つけた時のあの音がなる。それは全く、この世界の楽園。海外のオープンワールドRPGを自分の足で歩いているような、ゼルダのブレスオブワイルドの世界に自分が紛れ込んだような石灰岩の島の美しさに、ひたすらシャッターを切りまくった。

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もちろんこんな時に活躍するのはドローン。ここは元々ドローンの撮影は一般的には禁止されている場所なのだが、小笠原村の事業の一環ということで、特別に許可をいただいて飛ばしているものだ。この没入感!!三人の写真家が、それぞれバッテリーが消え去るまでほとんど無言でシャッターを切り続けてしまうほど、その景色に魅了される。

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この日の前半がオープンワールドRPGだとすると、後半に待っているのはモンスターハンターの世界。地球上で最大の哺乳類である鯨をシャッターに収めるために、再び船で外洋に漕ぎ出す。その日は比較的凪いでいるとは言え、やはり外洋。大きな波が来るたびに、手に持った望遠レンズをつけたカメラごと、腰砕けそうになる。

待てども待てども、鯨は出てこない。話によると、半日待ってても、せいぜい遠いところで背中がちょっと見えるくらいという日もザラにあるらしい。当たり前と言えば当たり前で、地球の7割を占める海を居城にしている、哺乳類の王の動きなど、そんな簡単に人間が捉えられるわけはないのだ。

そんなことを思っていると、ハーマン・メルヴィルの名著『白鯨(Moby Dick)』のことを思い出した。この本には実は並々ならぬ思い入れがある。思い入れというか、因縁というか。修士論文を僕はこの本を対象に書いたのだ。そしてこの本は、おそらく19世紀に書かれた小説の中でも、もっとも難解な一冊。そんなことも知らずに選んだおかげで、修士論文は地獄の苦しみを味わう羽目になったのだが、それはそれとして、2年間を一冊の小説に費やすという、ある意味では究極の贅沢のおかげで、僕の中の人生の軸が随分太いものになった気がする。特に、言葉と世界の関係を見るという意味において。

『白鯨』は印象的なエピソードが山盛りで詰め込まれているのだが、個人的に強く印象に残っているのは、語り手のイシュメイルが大きな鯨の頭について語った、ある小話のようなエピソード。そのエピソードの中で、イシュメイルは鯨のあの偉大さの秘密は、巨大な身体、特に頭の中にあるのではないかと考える。でも実際に解体してみると、そんな秘密などどこにもなかった、というそれだけの話。

このエピソードを20代の半ばで読んだ時、面白いことを書くなあと思ったのだった。僕ら人間は、生物としては少し異形なほどに発達した大脳皮質のために、世界を「解釈」してしまう。ありのままに受け取ることが根源的に不可能な生物だ。全てを物語へと変えてしまう、深い業を背負った生物。そのような僕らは、物事の「真実」だったり「真理」だったりが、たいてい深い場所に隠れているような妙な錯覚を持つ。そういえば少し前、「ほんとうの自分探し」が流行ったものだし、「自分たちのサッカー」という言葉も何度も耳にした。そこには確固として動かない、「理想の真実」が、あたかも今は見えないけど、内側にはしっかり存在しているだというばかりのレトリックが展開される。

でもそうではない、とメルヴィルはおそらく言いたいのかもしれない。メルヴィルという作家は、真理が無いこと、真実は常に不在であること。存在は、そこにあるものでしか見えないこと、内側には何もないことに囚われ、それを言語化しようとして生涯表現した作家だった。その究極の姿を、おそらくは自身も元捕鯨船の船員だった経験を通して、あの偉大な「鯨」へと投影する。死んだ鯨の中には神秘は存在しなかったと語るとき、それはむしろ失望というよりも、鯨の偉大さは、生きている鯨を前にした時の畏敬の念から発しているのかもしれない、そんなことをずっと思っていた。

それをこの日、僕は確かに目にすることになった。一匹の鯨さえ間近に捉えることができず、小笠原に来て初めて「ミッション失敗」となるかと、少しだけ落胆して港に帰る途中、急速に輝き出した夕焼けを背景に、「ぶおっ」という、明らかに生物由来の強烈な「呼吸音」を耳にした。その瞬間、せいぜい100メートルという視界の先に、三匹の親子鯨が、その姿を現した。

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潜水艦のような流線型の背中のフォルム。2度、3度と潮を吹き上げ、全身へと酸素を取り込んだ直後、大きな尻尾を海上に振り上げ、深海へと帰っていく。その姿を夢中でシャッターに取り込んだ。

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撮影が終わった後、船を巧みに操って鯨につけてくれた船長のチャッピーさんが、笑顔で僕らにいう。「この時間帯にこんな近くで鯨を見られるのは、本当にラッキーだよ!」と、鯨には慣れているはずのチャッピーさんもすごく嬉しそうだった。

港に帰って確認した鯨の写真には、メルヴィルがかつて見出した、生きている鯨だけが持っている荘厳さの一端が刻まれているような気がした。その感触は、20代の中盤の全てを「鯨の本」に捧げた僕の人生の、謎めいた文字だらけの記憶に、一枚の鮮烈な映像を焼き付けてくれる。あの頃、朧げにしか見えず、なんだか煙に巻かれたような気持ちで終えた修士論文に、20年の時間が経って、ようやく一つの形が与えられた気がした。

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小笠原では、いろんなものに出会う。人々の温かい気持ちに、素晴らしい自然に、美味しい食べ物に、輝かしい太陽と激しい雨に、ゆったりと流れる時間に。でも、「過去の自分」に出会えるなんて想像もしてなかった。

嬉しい驚きとともに、三日目が終わる。

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