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24時間のインターネットのない船旅を経て思ったこと

【小笠原諸島 父島滞在記 Day 0】

1. 24時間ネットに繋がらない船旅

「24時間ネットに繋がらない船旅、わりとよくないですか?」と言ったのは、僕のデジタルQOLを常に爆上げしてくれる市川渚さんだ。その横で、今回の旅の仕掛け人である北村穣さんが、穏やかな笑みを浮かべて、僕らの「初心者ぶり」を楽しんでいる。

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ソーシャルディスタンスがしっかり保たれた空間で、僕らはちょうど夕食を終え、小さな声で仕切り越しに初日の感想を話していたとき、なぎちゃんが不意にそう言ったのだった。僕もそう思う。多分北村さんも、この船旅2回目で僕らよりちょっと先輩だけど、同じようなことを思ってるはずだ。三人とも、この24時間に抱いていた心配が杞憂で、なんだかいい旅になりそうな予感がしているのだ。

2.そもそもの始まり

僕がこれを書いているのは東京の品川から小笠原諸島に向けて24時間の航海をする、ネットに繋がらない船「おがさわら丸」のゆらゆらと揺れる船室からだ。事前に聞いた話によると、東京都の領域を出て外洋に入ったあたりで回線は切れるということで、確かにそのあたりで人類の生活を根底から変革したインターネット回線は途切れてしまった。僕らは21世紀の地球上では、もはやかなりレアな体験に属するであろう、モバイル電波の無い24時間を今過ごしているところなのだ。

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その船の向かう先である小笠原諸島は、島全体が国立公園になっている。24時間の船旅を除いて、今のところこの場所へ一般人が降り立つ方法はほとんど存在しない。今回僕らは、この「隔絶された楽園」である小笠原諸島の魅力を伝えるために、小笠原に向かっている。

こう書くと何か使命を帯びて向かっているように見えるかもしれないけれど、実際にはそうではなく、むしろ僕らは、のんびり過ごして、のんびり仕事をして、コロナ収束後の世界に目指すべき「リモート」な環境の心地よさを、少し時間軸を先取りして体験させてもらい、そのゆったりした魅力を伝えるのが目的なのだ。

つまりこれは、24時間の船旅という、飛行機だったら地球の裏側にでも余裕でいけちゃう時間をかけた「地理的に遠い旅」であると同時に、少し先の未来を夢見た旅でもあるという、時間軸でもちょっと離れた世界を目指した仕事なのだ。こんなふうに書くと、今度はなんだかワクワクしてくる。

ただその「楽園」の前に立ち塞がるハードル、それがネットの使えない24時間の船旅だ。行ったことがない人はみんな心配する、どうやって過ごしたらいいんだろうと。その間に緊急の仕事が来たらどうしよう。僕もかなり心配していたのだ、実際に乗るまでは。

3.PCR検査

ところで船に乗る前のことを少し話しておいた方がいいのかもしれない。2021年1月現在において小笠原諸島に行くには、事前にPCR検査を受けなければならない。島の人口は少なく、医療も決して充実しているとは言えない。未来のいつかに読み返したときに自分自身に対して説明するために、1月30日時点でのコロナの状況を記しておくけれど、大都市圏の感染者の状況は高止まりで推移していて気を抜くことができる状況ではなく、また、宮古島では医療崩壊が起きそうな状態が出ているように、都会だけではなく地方や離島においても大きなクラスターや感染者の激増が問題になっている。僕らはまだ、2020年を丸々費やしても克服できなかった、このコロナ禍の厳しい「現実」の中にいる。

4.旅人の目線

それでも、未来はいずれやってくる。それは歴史が証明しているし、科学と医学がそう予測している。感染症はいずれ時を経れば収束する。その未来を見据えた時、一度止まってしまった人の流れを再び動かしていかなきゃいけない。それも特に意識的に動かさなくてはいけないのは、放っておいても自然に人の流れが動き出す東京や大阪のような大都市ではなく、今回向かう小笠原諸島をはじめ、地方の中でも特に都会から遠い部分にある場所に向かう人の流れであるのは明白だ。そしてその時必要なのは、内部の目線だけではなく、外からやってきた人間、旅人の目線なのだ。

土地の魅力を伝えるときに必要なのは、その場を熟知した現地の人々の発信であるのはもちろんのこと、同じくらい大切なのは、「外部からやってきた人間の視線」による「再発見」の過程だ。そこに住む人々が当たり前と看過している部分を、旅人だからこそ見つけることができ得る

だから僕らが今回負っている使命は、しゃかりきに「奇跡の絶景」を発掘することではない。それは多分、本当にそこに腰を据えた人々が、長い時間をかけて少しずつ作っていくものだろうから。外部から来る僕たちは、その島の「日常」と「普段着」の魅力が、いかに僕ら外の人間にとって魅力的なのかを体験し、発信する。

そんな形で僕らはこれからの10日間、いつか近い未来のどこかでこの場所に訪れる人たちに向けて、少しだけ早めに、等身大の島の魅力を伝えるお仕事に従事する。

でも、その前に心配していたのが、冒頭のお話。24時間、ネットに繋がらない船旅というのは、なかなかにハードルが高そうだ。でも実際に蓋を開けてみるとそうではなかった。

5.数字に還元できない距離

もちろん、今回の僕の旅は、北村穣さんや市川渚さんという、心強い旅の仲間がいるから、24時間のネットなしの船旅も大丈夫なのかもしれないけど、仮に一人で訪れていたとしても、楽しめていたんじゃないかと思っている。その理由は、まさに24時間のネットのない船旅が、僕に「距離」についての考察を与えてくれたからだ。コロナの世界で否応なく考えざるを得なかった「距離」の問題に、別の示唆を与えてくれた。結論から言えば、距離は単なる数字ではなく、そこには我々の生が満ちているということ、そしてそれこそが旅なのだと。

ところで「距離」は、19世紀の産業革命以降、人類の知を集約して短くしようと苦闘を重ねてきた対象だ。蒸気機関、内燃機関、自動車、列車、飛行機、電話、テレビ、インターネット。これら全て、機能も違えば技術レベルも全然違うけれど、目指しているのは実はたった一つのことだった。それは、可能な限り距離をゼロに近づけること。なぜそんなことを目指すのか、それは、距離がゼロに近づけば近づくほど資本の循環は高速化して、人類はより効率よく富を集積できるようになるからだ。そう、19世紀の産業革命が起こって以降、「距離」こそが人類が挑み続けてきた難敵なのだ。

こうしてコロナ直前まで、ほとんどチキンレースのようにアクセルを踏み続けた世界の動きは、2020年、突如動きを止めてしまった。コロナが提示したのは、シンプルにして困難な課題。「距離がゼロに近づけば近づくほど病は指数的に広がる」という機序。そう、コロナは、20世紀までにやってきた人類の経済活動に対する、完全なアンチテーゼとしてこの世界に現れたのだ。それは、人類にとって大きな試練となった。東京オリンピックが開催されるはずだった年、僕らは足をとめ、再び遠くなった世界との、社会との、隣人との「距離」を噛み締めることになった。

そんな一年を経た後、僕は、仲間と一緒に、今地球上でもっとも遠い場所の一つへと、時間をかけて向かっている。人類が無くそうと躍起になってきた「距離」をゆっくり味わいながら。

その時に撮影した写真たちがこれだ。

28mmのレンズなんかでは全然収まりきらない「おがさわら丸」への乗船から始まり、

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19世紀の巨大客船を思わせるエントランスと、割り当てられた個室。

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そこからデッキに出てみると、東京湾から一望するビル群と、巨大な富士山の威容。

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それらがすごい速度で背後に流れつつ、徐々に見えてくる外洋の深い青を湛えた海。そんなものを見ているうちにやってきたのは、見渡す限り遮るもののない海面に沈んでいく圧倒的な夕日。

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ゆったりと過ぎてく時間の中で、この1年間、恐怖と抑圧で縮こまっていた五感が徐々に刺激される。まるで生きることを細胞が再び喜んでいるかのように、光に、音に、振動に、匂いに、温度に、体の全てが反応する。

コロナをきっかけに、僕らは「距離」の意味を考えることになった。そして、そこには決して「ゼロ」にはできない経験が潜んでいることを、僕は今日1日で体験しつつある。遮るもののない外洋の中、揺れる船の上、吹き上がる海水の飛沫を受けながら見た夕日は、今まで見たどの光とも違う色合いで僕の目の前で海の中に沈んでいった。

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コロナを奇貨として捉えることができる可能性があるとするならば、この「止まったこと」自体の経験によって、僕らの社会を再検証する機会を得たことだろう。僕らが捨て去ってきた空間や余白、「距離を隔てるもの」の中にあった物語の中に手を伸ばす、そんな瞬間を模索するための通過儀礼として、この24時間の船旅は僕の感情を揺さぶりつつある。その感触を忘れないうちに、僕は今、小笠原のデイ0を記している。

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