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小笠原滞在記 Day 9 「円環的世界としての小笠原」

小笠原滞在の9日目は、静かに始まったと記憶している。

その日の前日も4時まで撮影していて、そのまま成果なく引き上げ、朝は7時半に起床。睡眠は3時間ほどで、頭は相変わらずぼんやりしている。でも前日「やるべきこと」をようやく見つけた気持ちでいたので、心は軽い。

宿のおかあさんが作ってくれる朝ごはんをしっかり食べた後

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午前中は小笠原の固有種にして、食物連鎖の頂点に立つ猛禽類、オガサワラノスリの撮影のために、旭山の山頂に向かう。片道30分程度の軽いトレッキング。睡眠不足で体は酷く重いが心は軽いし、何せすぐに絶景が出てきたので、テンションはアゲアゲ。右も左も海と山と断崖絶壁が我々三人を取り囲む。

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前日の全く冴えない状態の時には、見向きもしてくれなかったノスリが、この日の我々三人のテンションに触発されたのか、空中からもじっと見つめてくれる。シャッターチャンス到来!

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ガン見。ずっとホバリングしながら、こちらを見続けるノスリの目は、ファインダー越しでもしっかり確認できた。オガサワラノスリと5秒以上目線を合わせた写真家なんて、世界に28人くらいしかいないはずだ。今日は調子がいい、多分。

港を見ると、おがさわら丸が見えた。

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明後日にはあの船に乗って小笠原を去ることになる。数日前に見た感動的な見送り船の記憶が蘇って懐かしさを覚える。考えてみると不思議な感覚だ。まだ来ていない未来の事象を、あたかもすでに先取りして見ているかのような感覚。それはこの小笠原という島に来てからずっと感じていた、一種の円環的な時間軸がもたらすものだと、そんなふうに感じる。直線的で右上がり的な「都市」の時空間とは違って、1週間間隔で旅人が数百にやってきては、去っていく。それを見送り、そして新しい旅人を迎え入れる。繰り返される円環的日常。僕らの旅立ちは誰かの出会いであり、それは常に、最初と最後が同時にやってくるような、そんな感触なのだ。だから、どこに行ってもどこか懐かしく、まるで「いつか来た未来」と「まだ来ない過去」の間を、この小笠原で生きているような感触を得る。

旭山山頂からの帰りは軽快なものだ。街に帰ったあとは、溜まりに溜まったデータの整理。そうこうして居るうちに、瞬く間に夕方がやってくる。初夏のような気持ちの良い気候(僕らの滞在期間中はほぼ晴れで、気温は23度前後だった)でも、季節自体は2月らしく、夕方の訪れは早い。滞在中に大好きになった境浦海岸へと急ぐ。

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ここでも出会いがあった。365日、毎日小笠原の夕日を撮影しているフォトグラファーの方と知り合った。しばらく話した後、その方の言葉が一つ印象に残っている。僕が「お邪魔にならないような場所で撮影します!」と言うと、そのかたは、

「僕にとっては1/365日だけど、あなたにとっては、貴重な滞在時間でしょう。僕のことは気にせず、好きな構図で撮ってください。」

そう言って、一番ベストのポジションをきれいに空けてくださった。小笠原に来て色々素敵なことがたくさんあったけど、これもまた、記憶と記録に残っておくべき会話だった。この日の記録を僕は1ヶ月後に書いているけれど、メモさえ残していない1ヶ月前の滞在の中で、こんな風に頭の中に明確に残っている瞬間がたくさんある。僕が伝えたいのはそのことなのだ。ただの旅ではない、「そこに帰りたい」と、今この本州の真ん中あたりにいる1ヶ月後の僕につよく思わせるような心の繋がりを紡ぐ滞在。

だから僕に残せる写真を残さないといけない。写真家として呼んで頂いたのだ、写真家の仕事をしなきゃいけない。そうして出来上がったのがこの一枚。

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自分の写真のキャリアの中でも、今後何度も振り返ることになる一枚を撮ることが出来た。写真的な話をすると、天の川撮影に月の光はご法度で、月の光は天の川の微光を消し去る邪魔者でしかない。でも僕は、この小笠原の夜の暗さを十分に使うことができれば、最小の光になった月の光と天の川なら、この空に美しい天体ショーを描くことができるのではないか、そう思ったのだった。小笠原の人々が眠るまさにその時間帯、写真家の僕が加えることができるとすれば、静かな満天の夜空が伝える原始の地球に注いだはずの星々の光の様子だ。過去にあった景色と、未来にもあるだろうを景色を、大切に守り続けている小笠原の「現在」を、この天の川で捉えたかった。そんな一枚。

不思議なことに、上の夕焼けから、この天の川の写真まで、間に写真がほとんど残っていない。この滞在期間中、僕ら三人は、とにかくずっと最新のデジタルガジェットを駆使してあらゆる記録を残してきたはずなのに、僕はあの夕焼けが終わった後、天の川の撮影まで、そう言う行動を一切していなかったようなのだ。なぜだろう。多分、僕は緊張していたんだと思う。明日最終日の夜は、天候的に相当厳しい見込みであることが分かっていた。天の川を撮れるチャンスは今日しかない、そう思って、内心緊張していたのだ。だから撮影が終わって天の川が撮れて居ることがわかると、思わず座り込んでしまった。

僕には分かっていたのだ、この天の川でさえ、ほんの少しだけ小笠原の星空が、気まぐれに見せてくれた「本気」だったことを。その証拠に、上の写真を含めて、天の川がきれいに顔を出していたのは、せいぜい10分程度。それ以外は、小笠原の空らしく、表情豊かな雲の表情が、瞬く間に空を覆ってしまったから。

明け方までもう一度チャンスがあるかと思って待ってみたけれど、やはり上の一枚だけが僕が小笠原で見た、宇宙の果てから来る光の姿だった。夜明け前にはまた違った、この地球の大気と海の湿気が作り出すドラマティックな夜明けが広がった。

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そういえば前日も似たような行程をこなしていたっけ、と思い出して、帰り道に笑いそうになったのを覚えている。自分の意中の絵が撮れるまで、何度も同じ場所に足繁く通うのは、風景写真家のルーティンワークだ。ようやく今回の旅の目的、「ワーケーション」の「ワーク」の方をこなせた気がする。滞在最終日の前日でようやく。

安堵感と一緒に山を降りる。今朝の朝ごはんの時に、みんなに写真を見せよう。喜んでくれるはずだ。笑顔がすでに心に浮かんできて、それが嬉しい。

記事を気に入っていただけたら、写真見ていただけると嬉しいです。 https://www.instagram.com/takahiro_bessho/?hl=ja