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デザイナーとは何をする人なのか 〜ドン・ノーマン『より良い世界のためのデザイン』

認知科学者でもあり技術者・デザイナーでもあるドナルド・ノーマンの最新刊。

ドン・ノーマン 著、安村通晃・伊賀聡一郎・岡本明 訳『より良い世界のためのデザイン』新曜社、2023年

超有名な『誰のためのデザイン?』(2018年のセンター入試国語の出題文でも言及されていた)以降のノーマンの考えの発展をまとめたもの。ユーザーにとって使いやすいという「人間中心」だけでなく、人類や生態系全体も視野に入れる「人間性中心」のデザインのアプローチを解説する。
直近の本(原著は2023年の刊行)だけあって、気候変動の問題、さらにはCOVID-19のパンデミックのことも取り上げている。

GDPのような単一の経済的指標を用いることを辛辣に批判し、「測定」が持つ問題点・限界について述べる。
その点では、『測りすぎ』のミュラーと共通している。
が、「多くの主観的な属性を測定することは可能である」(p.109)とし、そうした種の測定の活用を推奨したり、多次元的に数値を表示・データを可視化する「ダッシュボード」を推したりする点では、ミュラーよりは多分穏健だ(「測定」だけでなく「ストーリー」も大事と述べてはいるが)。

「専門家」が判断を牛耳ることや人間がテクノロジーの奴隷になること、プロジェクトがどんどん大規模化することを批判する点がイリイチを思わせるなーと思っていたら、ばっちりイリイチの『コンヴィヴィアリティのための道具』を取り上げていた(23章)。
ただし、イリイチよりははるかにテクノロジーを許容しているように思える。また、人々が自分たちで作りやすいようある種の「標準化」の必要性を説いたり、大規模プロジェクトに関しても「漸進的モジュラーデザイン」など具体的な対処の仕方を提案したりしているあたり、イリイチよりも現実主義的。

ノーマンの土台にあるのは、人間が作り出した(デザインした)ものによってさまざまな問題が引き起こされているのだから、人間はそれを作り変えていく(デザインし直す)ことができる、というもの。
そして、そこでのデザイナーの役割を強調する。デザイナーには、それぞれの分野の専門知識がない。けれども、だからこそ、予備知識や先入観に邪魔されたり、拙速に解決策を提案したりすることがない、と。

デザイナーは問題を与えられたとき、「なぜこれが問題なのか」と問う。解決策を与えられたら、「なぜ?」と問う。デザイナーは常に疑問を持ち続けるので、一緒に仕事をするのは難しいかもしれない。しかし、疑問を持つことで、より良いアイデアが生まれることもあるのだ。

p.282

線形的な因果関係に飛びつきがち・それ以外を見落としがちな人間の性向の指摘、海外援助や大規模プロジェクトで陥りがちなパターンへの批判なども興味深かった。
26章で描かれる「資金は少額より多額の方が調達しやすいことが多い」(p.263)、「巨大で高価な報告書が作成され、巨大で高価なプロジェクトが推奨される」(p.266)など、ある意味、「GIGAスクール」「一人一台端末」で起きていたことそのものだよなあと思わされた。

海外援助で起こりがちな、当事者を置き去りに、外から来た「専門家」が処方箋を下すという図式への次の批判。

彼らの専門知識は的を得ており、深く、原則に基づいているので、慢性病の議論は通常適切である。しかし、専門家が現地の人々、彼らのスキル、資源、そして彼らが重要視していることを深く理解していることはほとんどない。その結果、専門家は、原理的には適切な問題に対処するものの、地元住民が維持・修理できないシステムの建設を提案・管理し、しばしば市や町の大部分を取り上げ、何千人もの人々の強制移転を引き起こしている。

p.231

これと同じことが教育分野でも起こっているのではないか。産業界などの人たちが「自分たちが正解を持っている」式に学校教育に介入するのはもちろん、教育学者が学校現場にかかわるときもこれと同じことをやってしまってはいないか。そんなことを考えさせられる。

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